第32章 アンダー・ザ・シー
「おっ待たせ〜!」
待合室にズラリと並んだ椅子に、姿勢よく座っている男に向かって、同じ学ラン姿の高尾和成はヒラヒラと手を振ってみせた。
(おーおー、相変わらず妙に目立ってるっつうか……)
萌葱色の髪と、手のひらに乗せたスカイツリーの置物のせいで、その男は周囲の視線を独り占め。
だが、当の本人はそんなことを全く気にする様子もなく、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
「五月蝿い、高尾。ここは病院だ、静かにするのだよ」
スキップしながら近寄ってくる高尾に、緑間は眉間に皺を寄せて首を振った。
「で、どうだったのだよ」
「心配してくれてたのかよ、嬉しいぜ」
高尾は包帯の巻かれた中指で、かけてもいない眼鏡のブリッジを持ち上げるマネをしながら「問題ない、なのだよ」と言い放った。
「馬鹿め」
「でもさ、ホント真ちゃんの言う通り、いい先生だったぜ。スゲェ体格いい親父さんでさ、ありゃ昔スポーツやってた系の……って、聞いてる?」
「お前は口を怪我するべきだったのだよ」
会計で名前を呼ばれるのを待つ間も、高尾の口はフル回転。
「なんか言った?真ちゃん」
「いや。水原先生は、中学の頃からお世話になっている名医なのだよ。それに……」
ガラス張りになっている病院の正面玄関をチラリと見た緑の瞳が、ふと曇る。
それは、朝に見上げた空模様と同じ色だった。
「雨、か。思ったより早かったな」
「ええっ!?もう降ってきたのかよ!?どーすんだよ、オレの愛車!」
「だから今日は止めろと言ったのだ。大体、指を怪我したのに自転車に乗る行為自体に問題があったのだよ」
「大したことないって言っただろ?実際、ただの突き指だったんだからさ」
緑間は小さく溜め息をつくと、胸ポケットからスルリと携帯を取り出した。
利き手ではない右手で画面をタップする相棒の手元を、覗きこむ高尾の黒髪がサラリとこぼれる。
「何してんの?」
「お前のアレを病院で預かってもらえないかどうか頼んでいる。雨の中、荷台に乗る趣味はないからな」
「そーしてもらえると助かるけど……てか、誰に?てか、真ちゃんがメールしてんのって珍しくね?」
てかメル友いたの?と次々に疑問を口にする高尾を無視して、文章を入力し終わった緑間は、口の端で小さく笑った。