第3章 ロングバージョン
明日は2月14日。
ここ数年、友チョコや自分へのご褒美チョコなど雰囲気が変わりつつあるものの、街にはいつも以上にカップルの姿が目立つこの季節。
夕闇せまるビルの隙間にひっそりと佇む、お洒落だが緊張を感じさせないイタリアンの店で、ふたりは美味な料理を堪能した。
「お会計は割り勘ですからね」と必要以上に念押しする彼女の律義さが、黄瀬の女性像をまたひとつ覆していく。
(女性って、おねだり上手な人種だと思ってたんだけどな。オレもまだまだっスね)
「ま、もうオレには関係ないっスけど」
「ん?」
トマトソースの赤に染まった唇で小首を傾げる恋人を前に、黄瀬は胸に込み上げる感情を制御しながら、その瞳をやわらかく細めた。
「うわ、さぶっ」「ひゃっ!」
温度を下げた夜の外気に、店を出たふたりは同時に声をあげた。
寄り添う腕のやわらかさに、黄瀬はザワリと波打つ胸に手を押し当てた。
「ね、結。あとひとつだけオレに付き合ってくれる?」
「あ……は、い」
少し固い声に抗うことが出来ず、結は差し出された手にそっと指先を預けた。
無数の窓から漏れる明かりが、不規則なグラデーションを描き出す高層ビル。
「うわぁ、凄い」
ポカンと口を空けて、結は後ろに倒れんばかりに空を見上げた。
「開いてるっスよ、口」
「ム」
クスクスと笑う黄瀬に手を引かれてたどり着いたのは、ガラス張りの重厚なドア。
「いらっしゃいませ」
仕立てのいいコートを着用したドアマンの一礼に、結はその歩みを一瞬緩めた。
身体に走る緊張感。
だが、そっと見上げた先にある困ったような顔に笑みを返すと、結は繋いだ手を強く握り返した。
「こちらに御記帳をお願い致します」
レセプション担当の若い女性が、人気モデルに気づいたかどうかはともかく、クールにチェックインの手続きをしてくれたのは流石プロというべきだろう。
「荷物は特にないんで」とポーターをやんわりと断り、カードキーを受け取った後、無言のまま到着したのは47階の一室。
重い扉の先、目に飛び込んでくる四角い窓は、昼間ならば皇居外苑が見渡せる豪華な部屋。
「……素敵」
ふらりと窓に近寄ろうとした結の身体は、背中から巻きつく腕に動きを封じられた。