第2章 キノコ
「ホント、無邪気にも程があるっス」
大きく肩を落とした黄瀬の悲痛な声が、避難した部屋にむなしく響く。
「……何のことですか?」
「分かってるくせに。さっき青峰っちに返事しようとしてたっしょ。なんて言うつもりだったんスか?」
「あ、あれは……つい」
やっぱりと深く項垂れる黄瀬に向かって、結はバツが悪そうにつぶやいた。
「やっぱり、駄目……ですよね」
「普通はそんなこと自ら暴露しないっしょ。自分の経験とか」
「う」
言葉に詰まる無邪気な恋人を苦笑まじりに見つめていた金の瞳が、ふと色を変える。
「ねぇ、結?」
肩に置かれた手の力強さに、おずおずと顔を上げた結は、憂いを帯びた切れ長の瞳に射貫かれて、こくりと息を飲んだ。
「な、んですか?」
「てかさ、マジで経験ない……とか?」
「え。あ、ハ……ハイ」
「そ、っスか」
黄瀬は、形のいい唇の隙間から、深い溜め息をひとつ吐いた。
(そーじゃないかとは思ってたけど……ヤバ、まじで嬉しいかも)
黄瀬が思わずこぼした歓喜の溜め息を、真逆の意味で受け取った結は、その表情を曇らせた。
全身を埋めつくす不安に、胸が締めつけられるように痛む。
この歳でまだ経験がないのは、やっぱり変なのだろうか。今まで、身も心も捧げたいと思う人に出会えなかっただけのことなのに。
それとも、彼にも安易にそう答えてしまったことが駄目だったのだろうか。
(もしかして……引かれた?)
目の奥がじわりと熱くなる中、結は懸命に声を絞り出した。
「ごめん、なさい……」
「え、なんで結が謝んの?」
「だって色々と面倒……だって、聞いたことあるから」
深くうつむいたまま謝罪の言葉を口にする結の顎を、黄瀬は指先ですくいとった。
伏せた目を縁取るまつ毛が、戸惑うように震えている。
(そーいうことっスか)
彼女の言う“面倒”の意味が分からないほど鈍くはない。ダテに場数は踏んでないのだ。
唇を噛みしめる恋人の頬を、黄瀬は指先で優しくなぞった。
きっと色んな思いを交錯させているのだろう。
「ゴメンね、勘違いさせちゃった?違うんスよ」
「違、う?でも……」
不安そうに瞬くふたつの瞳に、黄瀬の胸はチクリと痛んだ。