第81章 そして誰もいなくなった
ギャンブルと酒に明け暮れていた師であるクロス・マリアンのお陰で、アレンは厳しい節約の日々を強いられていた。
それは決して良い思い出などではないだろう。
「なんかごめんよ、アレン」
「いいえ。もう昔のことですし」
気遣うジョニーに、明るく返すアレンはいつもの笑顔。
ほっとつられてジョニーの顔にも明るさが灯る。
───と。
コツリ、
そんな二人の前に辿り着いた婦長は、アレンに用事でもあったのか。
赤黒い寄生型イノセンスである左腕を掴むと、顔を寄せて───
ガブッ
「グルル…」
「…は、い?」
噛み付いた。
それはもう思いっきり盛大に、噛み付いた。
予想の範疇を超えた婦長の突然の奇行に、アレンも回避など頭にはなく、唖然。
周りの一同も言葉なく硬直する中、婦長だけはガジガジとアレンの腕を噛み続けていた。
ぶしりと、婦長の歯の隙間から微かなアレンの血が飛ぶ。
それは甘噛みとは程遠い噛み付き具合。
一体何事か。
「ふ、ふふ婦長…!?」
「どうしたんですかっ!?」
「え。怒ってんの?婦長怒ってんのっ?」
一瞬の沈黙からハッと覚醒した周りが、慌てて婦長をアレンから引き離す。
「モヤシテメェまだ退院してなかったのか。怒り狂ってんぞ」
「そんな訳…ばっちり退院しましたよ…」
エクソシストの腕のおかげか、痛みは然程感じていないらしい。
それ以上の衝撃で唖然とするアレンに、呆れた神田の目が向く。
きちんと婦長の許可を得て、退院はした。
彼女に噛み付かれる程の怒りを向けられる覚えは、アレンにはない。
はずだ。
「だって噛んださ!噛むってフツーなくねっ?」
「何やったんだ、アレン…」
「ふわっリーバーさんまで!僕何もやってませんから!」
いくら教団一厳しい女性だと言われる婦長でも、いくら医療のエキスパートでありながら患者に死を感じさせるような脅しをかける彼女でも、血を滴らせる程に他人の腕に噛み付くなど。
本来なら考えられないことだ。
そこまで怒らせる何かをアレンがしてしまった、と考えるのが妥当。
なにをやったんだと問う常識人のリーバーに、アレンはショックのあまりに声を張り上げた。
何もしていない。
思い当たるようなこともない。
はずだ。