第79章 無題Ⅱ
「……ラビ…?」
唇が切れてるから大きな声はそう出せない。
小さな声で彼の名を呼べば、返事はなく代わりにその顔がくっと歪んだ。
「…ッ……南…」
一呼吸置いて、やっとその口からゆっくりと私の名が紡がれる。
いつもの陽気な声でも真面目で淡々とした声でもない。
掠れた、小さな小さな声。
……なんだか泣き出しそうな、そんな───
───ぱた、
綺麗な澄んだ翡翠色の眼球が、つるりと光る。
濡れそぼるように。
そのつるりと光った光沢は目の縁に引っかかると、そのまま重力に従って呆気なく落下した。
ぱたりと、落ちたのは私の頬。
ひとつ、ふたつ。
ぱたぱたと落ちてくる。
驚いて言葉を失ってしまった。
もう完全に炎は消火されたから、スプリンクラーは作動していない。
けれど私の頬を濡らす雨が降る。
ひとつ、ふたつ。
それは──…彼の翡翠色の片目から落ちてくる、雫だった。
「………」
なんで泣いてるの?
私の見た目がこんな有り様だから?
それともどこか体が痛いの?
酷い怪我負ってるの?
誰かラビの大切に思う人が亡くなったの?
疑問は一気に膨れ上がって、目の前のラビから目が逸らせない。
どうして彼は泣いているのか。
私なら大丈夫だよ。
だってほら、ちゃんと生きてるから。
体が痛むなら一緒に治療しよう。
大丈夫、怪我は時間が経てばいつかは治る。
誰かの死に涙しているのなら─…私も、一緒…だから。
ひとりじゃないよ。
大丈夫。
私が、いるから。
「…っ」
沢山投げかけたい言葉があるのに、深く裂けた唇と深手を負った体は早々と言葉を紡げない。
───あ。
そう、だった。
咄嗟に手を伸ばす。
私の心の中では急かして動かしていたのに、中々持ち上がらない腕。
歯を食い縛る。
動け、私の腕。
彼が泣いているんだから。
それでもなんとかぎこちなくも真上に上げれば、その手はやっと明るいオレンジ色の髪に触れることができた。