第78章 灰色の世界
「う…」
床の金網を掴む。
顔の右側面を頭から滑り落ちていく温かい血に、視界はよく見えない。
ドク…
鼓動の音。
私の鼓動?
…違う、これは…"黒い靴"の───…
「イノ…セ…ス…」
力の入らない体を、倒れ込んだまま這いずり進む。
鼓動の音を辿るように。
伸ばした手の先には、床に転がっているキューブ状のイノセンスが見えた。
「!」
視界がぐにゃりと歪む。
駄目…だめ…!
お願い…
お願い、大嫌いな神様
頭に何かが乗る。
踏み付けられるような感覚に、それでも手を伸ばさずにはいられなかった。
私に力を返して
…嫌いだった。
私を兄さんと引き離して、戦場に駆り立てるイノセンスが。
兄さんを牢獄のような教団に閉じ込めてしまったイノセンスが。
私はじめて、こんなにイノセンスを望んでる
嫌いだった。
こんなもの持てて嬉しかったことなんて一度もない。
こんなものの適合者にならなかったら、私は兄さんと一緒に暮らせていた。
普通に、兄妹として。
暮らせていたのに。
───…例えば、夜眠りにつく時
次に目が覚めたら
実は今までのことが全部夢だったらって思うの
この世界には
千年伯爵も
AKUMAも
エクソシストもいなかった
全部私が見た悪夢だった
「あーよかったぁ、夢だったかぁ」
ってホッとしてたら、兄さんが私を呼ぶ声がして
台所の方から朝御飯らしい異臭がしてくるの
まるでどこかで読んだ、つまらない小説の結末のようなオチ
読者はきっとガッカリね
こんな馬鹿みたいな想像を
私はもう何万回したんだろう