第82章 誰が為に鐘は鳴る
大事にワクチンケースを抱えてティムキャンピーと共に、アレンを閉じ込めている部屋に駆け込む。
変わらず柱に後ろ手に縛り付けられているアレンは、俯いたまま動かない。
ワクチンの効果で暴力性が抑えられているからだろう。
赤いペンタクルの走る頬をぺちぺちと叩けば、薄らと銀灰色の瞳が開いた。
「起きて、アレン。逃げるよ。外には神田がいるから、見られないようにね」
アレンの団服だけであの有り様だった。
アレン本人を目にしてしまえば、烈火の如く憤怒し牙を剥くだろう。
「とにかくその目立つ白髪を隠して、それから…っ」
『椎名!』
「わかってます!支部長は先に逃げてて!神田がまた襲ってくるかもしれないから…ッ!」
焦る心がアレンを縛る縄を上手く解けさせない。
嗚呼もう、と自身を叱咤しながら南は呻った。
そんな南をぼんやりと見つめていた銀灰色の瞳が、瞬く。
一度、二度。
ぱちりぱちりと瞼を開閉させて、ゆっくりと噛み付かんとするようにアレンは口を開いた。
「……みなみ、さん…」
最初は、空耳だと思った。
「……え?」
それでも、僅かばかり反応を遅らせつつも顔を上げる。
南の目に、ゆっくりと開閉するアレンの唇が映り込んだ。
「南、さん?」
空耳ではない。
今度ははっきりと聞いた。
名を紡いだのはアレンの声だ。
「ぁ…アレ、ン?」
今まで一度も、ワクチン投与でアレンが人語を話したことはない。
しかし聞き間違いようのない、それは二十数年間聞き続けてきた、南自身の名だった。
「なんで…ぼく、此処…?」
ぼんやりと辺りを見渡しながら、状況を把握できていない様子を見せる。
それでも充分だった。
確かに理解のできる、意思疎通のできる、人語をアレンは話したのだ。