第82章 誰が為に鐘は鳴る
「私のこと、わかる…?」
「………」
「南だよ。私、椎名南」
「………」
「あの…反応が欲しいんだけど……大丈夫?」
じぃっと、まるで穴が空きそうな程に幼き瞳で見上げてくる。
言葉無き訴えに南は不安を抱えつつ、ひらひらとラビの目の前で片手を翳した。
すると、結果は突如表れた。
「打ち所でも悪かっただだだ!痛い!」
目前で翳していた南の掌に、くわっと大口を開けたラビが噛み付いたのだ。
「ガルルルッ!」
口走るは人語ではなく、獣のような唸り声。
血走ってはいないが殺気だった目に、南はあっという間に形勢を崩され小さな体に伸し掛かられた。
「(ああやっぱりね!わかってたけどね!)っ私の馬鹿…!」
小さな亡者に襲われながら、つい漏れたのは自虐の叫び。
わかっていた。
科学班の面子が作る薬は時間制限付きのものが多いが、コムイ印の薬となると度合いは変わる。
時間など意味を成さない。
ワクチンを作り体内に打ち込まねば、いつまでも強力で厄介な薬の効果に振り回されることだろう。
それは南自身、身を以て体験していたことだ。
わかっていた。
わかっていたのだ。
それでも、と期待する自分がいたことも。
もしかしたら、ラビは自分の声が聴こえたのではないか。
本能に打ち勝ち、理性を取り戻してくれたのではないか。
だからあの時、必死に体を抑え込んで襲い掛かろうとする衝動を止めてくれたのではないか。
神田に襲われていた自分を守るかのように、喧嘩を吹っ掛けに行ってくれたのではないか。
都合の良い解釈なのはわかっていた。
それでも期待せずにはいられなかった。
期待したかった。
誰でも良かった訳ではない。
他ならぬ、それがラビだったからだ。
どんなに緊迫した空気の中でも、緩んだ彼の笑みを見るだけで自然と力は抜ける。
その笑顔をもう一度、向けて欲しかったから。
「ッッ…!」
「ガゥウウッ!」
しかし現実は甘くなどない。
ギリギリと力を増すラビの咀嚼行為に、噛まれた指が食い千切れるかと思う程の激しい痛みに歯を食い縛る。
このままでは神田に襲われた時と変わらない。
ゾンビにならずともゾンビにやられてしまう。