第82章 誰が為に鐘は鳴る
痛みに耐えながらも南の獣耳に届いた声。
「グルル!」
「ガァア!」
それは激しい咆哮だった。
一つではなく、二つ。
「っ…?」
苦痛に顔は歪めたまま、何事かと必死に目を向ける。
もし二人のゾンビが唸り声を上げ襲い掛かって来ようなんてしていたならば、一貫の終わりだ。
しかし南の目に映り込んだのは、予想外の光景だった。
仰向けに倒れ込んだ神田の上に覆い被さるようにして、小さな体が蠢いている。
それは微動だにしなかったはずのラビの姿だった。
「な、何…え?」
歯を剥き出しにラビが襲い掛かっているのは、正常者である南ではなくゾンビ化した神田。
先程廊下にいた時はそんな素振りを見せなかったはずなのに、何故今頃。
ゾンビ化した者は同じゾンビ化人間がわかるのか、彼らを襲う姿は一度も見掛けなかった。
なのにはっきりとラビが敵意を向けているのは、同じゾンビである神田に対して。
一体何が起こったというのか。
頭の理解が追い付かないまま、南は唖然と取っ組み合いをするラビと神田を凝視し続けた。
「───って悠長に見守ってる場合じゃない!」
しかし一瞬だけ。
はっと顔を上げると、無事であった注射器ケースをポケットに押し込み噛み付かれた足を引き摺りつつ南はどうにか体を起こした。
こんな騒動を起こしていれば、他のゾンビ化人間達が寄って来るかもしれない。
そうなる前に此処から離れなければ。
割れた出入口の扉を全身を使って押し開く。
逃げ出そうと一歩、暗い闇の廊下に踏み出した。
「グル…ル…」
「ガル…ァ…」
その闇の奥から微かに聞こえてきたのは、ゾンビのような呻き声。
ずるりずるりと、何かを引き摺るような足音も届く。
空耳などではない。
間違いなく、新たに出現したゾンビ化人間達のものだ。
「……嘘でしょ」
堪らず零れ落ちたのは、本日二度目の絶望の声。