第7章 7
音楽院から朝日奈さんの住むアパート側に少し歩く。
すると、小さなエノテカ・バールが見えてきた。
「こんな小さい立ち飲みで悪いけどいいかな?」
「いえ、私もちょうどここで飲もうと思っていたんです」
店に入り、スプマンテを頼む。
すぐに発泡酒が出され、私たちは乾杯を交わした。
「はぁー…ようやく解放されました…」
「大変だったね。お疲れ様」
「朝日奈さんもお忙しかったんですか?」
「まぁ、そこそこ。そろそろ小説を書きはじめてるし、雑誌のエッセイなんかも最近多くてね」
朝日奈さんはなにか考え事をするように、黙り込んでしまった。
遠くを見るような目。
一体何を、誰を思い返しているのだろうか。
私はストゥッツィキーニをつまみながら待った。
「どうかしましたか?」
「あ、ごめん。まぁ、俺の近況はそんな感じ。あらためて、さくら。本当にいい演奏だった。真面目で面白みがない、なんて嘘みたいだったよ」
「ありがとうございます。今日は、まぁ、いろいろあって、心の底から歌えた気がします」
そう答えると、朝日奈さんは不思議そうな顔をした。
「いろいろ?」
「そう、いろいろです」
言えるわけがない。
あなたに恋をしてました、なんて。
私はゴチャゴチャになった気持ちを飲み込むようにスプマンテを一気に煽る。
ふわり、と体が浮くような感覚に心地よさを覚える。
「さくら、そんなに一気に飲むと体に悪いから…」
「いいんです。たまには、今だけ」
「たまにでもよくないって」