第38章 シャボン玉の島
モモは胸に当てていた手のひらを開き、ジッと見つめた。
あの日、生まれて初めて誰かを殴った。
頬を打った時の熱が、今でも鮮明に思い出される。
あの時の驚いたようなローの表情が、忘れられない。
今考えると、なにも殴らなくても良かったんじゃないかって思えるけど、あの瞬間はどうしてもひっぱたいてやりたかったのだ。
胸を占めていたのは、確かな怒り。
でも、今は…。
そもそも、どうしてあんなにモモが怒ったのかと言えば、理由はなにも身体を強引に押し開かれたからというわけではない。
もちろん、それも嫌だったけど。
冷静になった今ならわかる。
あの時、自分は傷ついたのだ。
理由は、ローの“特別”になれたような気がしてたから。
再会したローにとってのモモは、初対面のただの女。
成りゆき上、しばらく傍にいることになったけど、記憶の無いローが自分を特別に想ってくれるはずもないことを、モモだってわかってた。
でも、理由はどうあれ、身体を重ねたことによって、ローは自分を意識してくれている気がしてた。
勘違いかもしれないけど、気にかけてくれているような感じもしたし、モモの願いもきいてくれた。
それだけで十分だったのに、さらに彼はコハクと共謀してモモを外へと連れ出してしまう。
ものすごく戸惑ったけど、本当は…嬉しかったんだ。
そこまでするほど、ローにとって自分が価値のあるものなのかと思えたから。
彼の“特別”になれたような気がしたから…。
でも、それって、わたしの勘違いでしょう?
ローに欲望をぶつけられた瞬間、愚かな妄想がガラガラと音を立てて崩れていった。
ああ、結局わたしは、あなたにとってそういう存在でしかないのね。
“大切な仲間”にすらなることができないのかと、ひどく傷ついた。
瞬間、燃えるのような怒りがモモを襲い、彼に想いの丈をぶつけてしまう。
あの時の感情は、そんな感情。
そして今胸を占めるのは、怒りではないけど、ぽっかりと空いてしまった穴だ。
心の穴に、潮風が吹き荒れて、痛い。
こんな想い、コハクにも、誰にも言えない。