第54章 【番外編①】海賊夫妻の始まりは
血が止まった頬の傷に、消毒液を含んだ綿が押し当てられた。
傷口にしみ込んだアルコールがウォルトの痛覚を刺激したが、しかし、それを顔に出すような真似はしない。
ウォルトは誇り高き狩人であり、これから一家を背負う大黒柱になるのだから、これくらいの痛みに顔を顰めてはいけないのだ。
そしてなにより、ウォルトが治療を受けているのは、村の小さな診療所ではなく、外海からやってきた海賊船の中だから。
先ほど出会ったベポという名の白クマに担がれ、異を唱える間もなく海賊船の医務室に連れ込まれたのが数分前。
初めて乗った海賊船の目新しさに興味を示す前に、どかりと回転椅子に座った男が無言で治療を始めたのも数分前。
「安心してね。こう見えても、ローは医者だから。」
と、ウォルトに優しく声を掛けたのは、さらに数分前にウォルトが矢を向けた女性。
いくら動揺していたからといって、武器も持たない女性に矢を向けたのはやりすぎだった。
しかし、当の彼女はまったく気にしておらず、むしろウォルトの傷を心配している。
「……こんな傷、放っておいても治るよ。」
「あら、ダメよ。ちゃんと消毒しないと、あとになって化膿したりするんだから。」
ぽつりと呟いたボヤきにさえ、モモは心配を滲ませてくれる。
その優しさが、ウォルトの罪悪感を煽った。
「ていうか、お前、母さんに謝れよ。」
船長だという男とそっくりな顔をした子供が、強い口調でウォルトを詰った。
少し前の会話から、コハクと呼ばれた少年がモモと船長の子供だということがわかる。
だからこんなに生意気なのか、とも思ったけれど、彼の言っていることは正しい。
「こら、コハク! 謝らなくちゃいけないのはあなたでしょ?」
「は? なんでだよ。母さんに矢を向けたそいつが悪いに決まってんじゃん。」
「だからって、子供に怪我を負わせていいものじゃありません。」
「そいつ、オレより年上だろ? だから、子供じゃない。」
コハクが言うように、ウォルトはもう子供ではない。
自分の弓を持ち、ひとりで森に立ち入る許可を得た時から、ウォルトは成人男子として認められた。
肝心なその弓は、使い物にならなくなってしまったけれど。