第54章 【番外編①】海賊夫妻の始まりは
いくら動揺していたとはいえ、ウォルトの行動は非常に愚かだった。
ウォルトが矢を向けているのは、海賊の女。
女海賊、という意味ではない。
悪名高き“死の外科医”トラファルガー・ローの、稀代の海賊の妻である。
当然、自分の妻に矢を向けられたローが少年の蛮行を見逃すはずもなく、恐ろしく鋭い眼差しのまま、無言で手のひらを広げた。
このまま放っておけば、ウォルトの手足は血一滴流すことなく胴体とサヨナラを告げる事態となる。
「ダメ、ロー、待っ…――」
「てめぇ! 母さんになにしやがるッ!!」
「きゅいきゅいーーー!!」
モモがローを止めるのと、デッキの手すりに飛び乗ったコハクがヒスイをぶん投げるのはほぼ同時。
厳しい父親兼船長に鍛えられたコハクの投球――改め投ヒスイは目にも留まらぬ速さで飛んできて、鞭状に伸びた触覚がウォルトの弓を一刀両断する。
「うわ……!」
張りつめた弦が断ち切られた反動でウォルトの頬を打ち、破れた肌から血が流れる。
弓を失ってバランスを崩したウォルトは、背中から地面に転がって尻もちをつく。
「ウォルト! 大丈夫?」
モモは怪我をしたウォルトに近寄ろうとしたが、それは叶わなかった。
瞬く間にモモの背後へ移動してきたローに腕を掴まれたからだ。
「近寄るな。そいつはお前に矢を向けた。」
そう言ってモモを制するローからは、未だ痛いほどの殺気が放たれている。
しかし、ここで「うん、わかった」と言うようなモモではない。
なにせ、怪我をしたのはコハクと年の近い子供なのだ。
「だからなに? コハクが……、わたしとあなたの息子が他所様の子供に怪我を負わせたのよ?」
「は……? いや、こいつはお前を射ろうとしただろ。」
「つまり、親としての責任は取らないってこと……?」
「な……。」
モモの視線が、氷点下まで冷える。
金緑の瞳が据わり、その鋭さはローにも負けない。
「ひぇ……、怖い……!」
小さく上がったベポの悲鳴は、恐らく、ローの心を代弁したものだった。