第53章 セイレーンの歌
思い出した。
その昔、愛する人から約束の指輪を贈られた時、モモは言った。
幸せすぎて死んでしまいそう、と。
そう言ったら、彼はさっきみたいに「冗談でもそんなことを言うな」と口にして。
思い出を、記憶を失くしていたのは、なにもローたちだけではない。
語らう相手を失くし、罪悪感に苛まれていたモモもまた、大切な記憶を失っていた。
でも、これからは違う。
あの時はああだった、あんなこともあった……と、いくらでも思い出を振り返る機会に廻り合える。
「ロー、それ……。」
「なんだ? まさか忘れたわけじゃねェだろ?」
「そんなわけ、ない。」
過去を忘れたローに預け、過去を取り戻したローに返される指輪。
心の支えにしていた愛の証は、必要なくなった。
だから代わりに、新たな誓いを立てる。
左手を撫でたローは、恭しく薬指を取り、白銀の指輪を捧げて請う。
「俺と、結婚してくれ。」
告げられた言葉の意味を理解する前に、大粒の涙がぼろりと零れる。
結婚。
それは、この世で1番縁がないものだと思っていた。
そんなものがなくたって愛を育めるし、子供だって作れる。
相手が海賊ならば、なおさら無縁なもの。
意味を理解して、もう一度涙が零れた。
「け、っこん……?」
「ああ。この先ずっと、お前の男は俺だけだという確証をくれ。」
「そんなの、は……。」
わざわざ結婚しなくても、モモの愛する人は永遠にローひとり。
「俺は強欲な男なんだよ。恋人なんて軽い存在じゃ物足りねェ。もっと、誰にも邪魔できねェような絆が欲しい。」
モモの恋人も、コハクの父親も、ローだけのもの。
さらにもっと欲しいと願うのなら、残す称号はひとつだけ。
取るべきイスは、必ず奪う。
彼女の隣にある“伴侶”という名のイスを得るのは、ローでなくてはいけない。
「結婚してくれ、モモ。心臓が動き続ける限り、お前を幸せにすると誓う。」
きっと、今より束縛するだろう。
嫉妬もする。
それでも、頷いてほしい。
結婚なんてくだらないものに縛りたいと思えるのは、世界でたったひとりだから。