第53章 セイレーンの歌
じんわりと、心に熱が灯った。
喜んでいいと、ローは言う。
でも、そんな都合がいい話があるわけないとモモは思う。
人の大切なものを勝手に奪っておいて、喜べだなんて、そんな。
「俺を見ろ、モモ。」
何度も、何度も言われ続けた。
そのたびにローを見て、彼の眼光に刺される。
「お前から見て、俺は不幸か? 記憶を取り戻した俺は、そんなに不幸せか?」
大きく瞬いたら、また涙が零れた。
涙と一緒に、自分よがりな浅ましい心も流れた。
ずっと、思い出されるのが怖かった。
失くした過去を恋しく思うくせに、もし記憶が戻ったなら、愛する人に拒絶されてしまいそうで怖かった。
軽蔑され、孤独になるのが怖かった。
そんな人たちじゃないと、モモが1番わかっているはずなのに。
ローの眼差しは、鋭くなんてなかった。
そう感じてしまったのはモモの歪んだ心のせい。
記憶を取り戻した恋人は、かつて愛を誓った恋人は、モモの1番大切な人は、今も昔も幸せそうにこちらを見つめている。
「ロー、わたし……。」
全身の震えが止み、そしてまた小刻みに震えた。
でもそれは、恐怖からくる震えではない。
「わたし、あなたが……好きなの。」
「ああ。」
「今も、昔も、ずっと。あなただけが、好きなの……。」
「ああ。」
拾ってもらった命、戦いの中で目覚めた力、恋人になった日。
オバケの森、水の都、医者がいない島。
ローと出会い、ローと結ばれ、共に歩んだ軌跡。
「あなたが好きで、好きで……。」
言葉にならない。
こんな未来、想像もしていなかったから。
ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙が溢れて止まらない。
温かな手は今も昔もここにあって、モモを優しく見守ってくれる。
喜んでいい。
ローからもらった解呪の言葉がモモの心に広がって、砂糖菓子のように柔らかく溶けていった。
「思い出してくれて、ありがとう……ッ」
こんな日を、夢見ていた。
夢見ること自体、間違っていると思っていたけれど。
「泣くな。喜ぶ時には、ふさわしい顔ってもんがあるだろ?」
眦に口づけが落ち、忘れていた表情が戻ってくる。
「おかえりなさい、ロー……!」
綻ぶような笑顔は、かつて、そして現在もローが愛した最高の笑顔。