第53章 セイレーンの歌
セイレーンの歌には、決まった歌詞などない。
どんな歌を唄おうとも、愛おしさの心を込めて唄えば“慈しみの歌”になり、労わりの気持ちを込めて唄えば“癒しの歌”になる。
コハクはセイレーンではないけれど、幼い頃から母に教わったとおり、歌に想いを込めた。
深い眠りから覚めるように、早く起きろと。
コハクが唄う“目覚めの歌”は、失くして消えたと思われていたなにかを呼び起こす。
サラサラ、サラサラ。
流れ落ちていった細かい粒子。
砂と化したそれは、歌によって固まり、紡ぎ、糸となって虹色の織物を作り出す。
頭の空洞を埋めるように優しく包み込んで、七色の光が輝いた。
“ロー、わたしの声、聞こえる……?”
声が届く。
そんな当たり前のことが、こんなに嬉しいなんて。
微笑む目尻から涙が零れ落ちた。
昔から、それは本当に泣き虫で、拭ってやるのはローの役目。
座り込んだままのそれをふわりと抱き上げ、そして。
“ようやく聞けたな、お前の声。”
“ロー……。”
“もっと呼べ、もっと聞かせろ……。”
聞くことができなかった時間を埋め尽くすくらい、たくさん。
“ロー、わたし、嬉しい……。”
“ああ、俺もだ。”
お前の声が届く。
お前にできることがある。
それがこんなにも嬉しくて、切ない。
この気持ちを、なんと呼ぼう。
なんて呼んだらいい……?
これは、ローがそれの声を初めて耳にした時の記憶。
これは、ローがそれの泥沼に嵌まった瞬間の記憶。
この世のすべてと言われる財宝よりも、大切にしてやる。
だから、俺を、愛せ。