第53章 セイレーンの歌
奇跡とは、常識では起こり得ない、考えられないほどの不思議な出来事。
神がもたらすと信じられている恩恵。
けれどもローは、神を信じない。
この世に神がいるのなら、世の中には悲劇などひとつも存在しないはず。
奇跡は、生きとし生ける者が作り出すものだ。
ローにとっては医者の腕であるように、人の努力によって奇跡は生まれる。
しかし、時に言葉では説明できないような出来事があり、それを人は奇跡と呼ぶ。
例えば、神秘の力を受け継がぬ少年の歌声によって呼び覚ます、失われたはずの記憶とか。
『もっと話したいこと、たくさんあるの。』
一生忘れられない瞬間がある。
“危ない、ロー! 後ろ……!”
愛しいと、大切にしたいと心に決めたそれが、自分の名前を呼んだ時。
あの感動は、永遠に忘れることができない。
……はずなのに。
サラサラと砂になって儚く散った記憶の粒。
決して戻りはしないはずのそれが、コハクの歌をきっかけとして、形があるものに変わっていく。
コハクの歌に耳を傾けていると、真っ白な世界で立ち尽くしている気分だ。
不思議なことに、その世界には自分だけではなく、ベポとシャチ、ペンギンの姿があった。
3人はそれぞれ別の方向を向いて、集まりつつある砂粒を見つめている。
色のついた砂が絵の具のように白い世界を彩って、真っ白なキャンパスに鮮やかな絵を描いていく。
ローを含め、4人とも共通した絵であったり、ひとりひとり異なる絵であったり。
別視点で描かれるそれは、映画のようだ。
ただ、主人公が違うだけ。
人の数だけ描かれる物語。
それこそが、記憶という一生分のストーリー。