第53章 セイレーンの歌
“キャプテン、あそこに誰かいるよ。”
遠い遠い昔、ベポにそう言われたことがあった。
もう10年以上、共に旅をしている。
長い航海の中で“誰か”を見つけたことくらいあっただろうし、覚えてもいないのなら、それは些末な出来事のはず。
けれどローは、忘れられない。
あの時ベポが見つけた“誰か”は、ローにとって大事な……人生を左右するほどの重要なものであったと。
ベポが指をさした先。
船の残骸が浮かぶ海面は、きらきら輝いている。
反射したその光は、太陽だったのか、月だったのか、それとももっと別の輝きか……。
最初はただ、いい拾い物をしたと思っただけ。
気まぐれに拾ったそれは、思いのほか役に立った。
面倒事だと思っていたのに、いつしか手離すのが惜しいと感じていた。
ならば自分のものにすればいい。
そう思ったのは、初めてそれの唇に触れた時のことを思い出したからだ。
悪ふざけが過ぎる仲間に背を押され、たまたま重なり合った運が悪い偶然。
唇に触れた温かさと柔らかさが鮮明に蘇り、それから、ゆっくりと開いた宝石を思い出す。
金色を帯びた美しいエメラルド。
至高の宝石は、まるで愛しい彼女が大切にしている指輪と同じ色のようで。
無理やりに自分のものにしたそれは、口が利けない。
なにかに怯えているくせに、決して自分たちを頼ろうとしない様が非常に腹立たしく、無理やりにでも吐き出させてやりたかった。
『こんなに綺麗な未来があるのなら、悲しんでられないでしょう?』
悲しい顔を、させたくない。
それが悲しめば青天の空がたちまち曇り、それが泣けば荒れ狂う嵐が襲う。
なにかの神話のような話だ。
けれどそれは、大海に巣食う化け物の逸話なんかじゃなく、ローの心の話。
なぜ忘れていたのだろう。
かつて、自分にはそれほど大事な“なにか”が存在していたことを。