第53章 セイレーンの歌
実際のところ、コハクは歌が好きだ。
それこそモモの胎内にいる頃から母の歌を聞いて育ち、歌のすばらしさを誰よりも間近で見てきたコハクが、歌を好きにならない理由がない。
今よりもっと幼い頃は、モモの真似をして同じ歌を唄い、なぜ母と同じように奇跡を起こせないのかと不思議に思ったりもしたものだ。
草木を育てたり、雨を降らせたり、傷を癒すような歌はコハクに唄えないと知った今でも、歌が好きという気持ちは変わらない。
けれども、乞われて唄ったことはなかったなと考え、なにを唄えばいいのか悩む。
モモに育てられたから、彼女が唄う歌はすべて知っている。
教えられたわけではなくても、一度聞くと歌詞や音程を覚えてしまうのだ。
セイレーンじゃないのに、もったいない才能。
(で、なにを唄えばいいんだ……?)
これを唄えと指定してくれた方が唄いやすいのだが、無茶振りをしてきた本人に視線を向けると、無責任にも目を閉じて聞く体勢に入っている。
(まあ、なにを唄っても同じか。)
コハクにセイレーンの力はない。
ならば自分の好きな歌を唄おうと決め、とある歌を選んだ。
コハクが1番好きな歌。
けれど不思議なことに、それをどこで聞いたのかを思い出せない。
好きだと思うくせに、モモに唄ってもらった記憶がないのだ。
物覚えがつかない頃、それこそ寝返りも打てない赤子時代に唄ってもらっていたのかもしれない。
ただ、妙に心に残るのは、その歌を思い浮かべるたびにやってくる、とある感情。
忘れて、忘れて。
――忘れないで。
相反する願いを受けて、コハクは後者を選んだ。
聞いた覚えがなくても、絶対に忘れないと。