第52章 ハート
ぎろり、と血走ったサカズキの瞳がモモを捉えた。
今まさに穿たれようとしていた腕は、すんでのところで止まり、体重を預けた大地の積雪がじゅわりと溶ける。
(……来る。)
緊迫感が胸を押し潰し、息が止まった。
ほんの僅かな瞬間さえ、スローモーションのように感じられる。
「モモッ、お前……ッ!」
沈黙を破ったのはローであった。
叫び声には怒気が混じっており、青筋が浮いた彼の額から汗が流れ落ちた。
きっと、モモがサカズキの攻撃を受けようとしているのだと気づいたのだ。
“またか”
そんなふうに責めるローの声が聞こえてきそう。
(違うのよ、ロー。わたしはサカズキと戦うの。)
でもモモだって、自分が真っ正面からサカズキに太刀打ちできると思うほど愚かではなかった。
だからモモの攻撃手段は、サカズキから逃げること。
サカズキの標的がローから自分に移ったことを確認し、モモはすぐさま踵を返して走り出す。
「今さら、逃げられると思うとんのか!?」
モモは運動神経が鈍い。
同性相手でも逃げきれるか怪しいものなのに、男の…しかも鍛え抜かれた猛者相手に逃げられるとは最初から考えていない。
たった数秒。
たった数秒の時間が稼げればそれでいい。
積もり積もった雪の冷たさで、モモの足は痛みはおろか、感覚すら奪われていた。
それでも、負けるわけにはいかない。
凍りついた足を懸命に動かし、1ミリでも多くサカズキから距離を取る。
「てめェの相手は、俺だろうが……ッ!」
モモを必死に守ろうと、ローの刀が唸りを上げた。
しかし、斬撃はあと一歩のところでサカズキに届かず、虚しくも宙を切る。
サカズキとモモだけを見つめるローは、きっと己の背後に気づいていない。
(大丈夫よ、ロー。)
だって、あの人は言ったもの。
だから信じて。
「死ねッ、セイレーン!!」
燃える腕が、モモに向けて撃ち放たれた。
骨をも燃やし尽くす熱気が背後から迫り来る。
じりりと身を焦がす異臭が漂っても、モモは信じていた。
だって、あの人は言ったもの。
――同盟? 友達みたいなもんだろ?
彼は友達を裏切らない。
だって、あの人は炎の勇者の弟だから……。