第52章 ハート
足が重い。
まるで、鉛のようだ。
今すぐにでもモモに駆け寄りたいのに、身体全体がそれを拒否している。
“近づけば死ぬ”
本能的に、ローはわかっていた。
ぴくりとも動かぬ海兵たち。
医者であるローには、彼らがすでに事切れていると気づいていた。
「お前が、やったのか……?」
問い掛けても、モモの耳にローの声は届かない。
しかし、うずくまるサカズキが、心臓を襲う不可思議な痛みが、そのことを証明している。
優しいモモ。
ローの手ですら汚れることを厭う彼女が、こんなにも大勢の人間を。
「モモ、俺の声が……聞こえねェのか。」
だが、彼女に向けて放った言葉に応えたのは、気配を察したサカズキであった。
「……ロー! おどれ、生きておったんか。」
今はサカズキの存在などどうでもいいが、ちらりと視線だけ向けると、耳から流れ出るおびただしい量の出血が目に入る。
(モモがやったのか? いや、違うな……。)
明らかな外傷。
ローの声や足音に今まで反応しなかったことを踏まえると、彼は自分で己の耳を……鼓膜を破ったのだ。
音を遮断し、モモの歌から身を守るために。
けれど、本領を発揮したセイレーンの歌を防ぐことができず、こうして苦しんでいる。
「セイレーンは化物じゃ。こげなおぞましい存在を生かしておいたわしが間違っとった。」
「なん…だと……?」
なにを勝手なことを。
もともと、モモたちは争いを望んではいなかった。
海軍が、政府が、彼女たちを執拗に追い回し、そして滅ぼしていったのに。
『…――。』
美しくも恐ろしい、滅びの歌が辺りに響く。
「……ぐッ」
「がァ……ッ」
ローとサカズキの心臓が、同時にぎゅっと縮こまった。
このままここにいれば、死ぬ。
すぐにでも離れるべきだ。
「うるせェ……ッ」
頭に鳴り響く警鐘を黙らせる。
ローにはわかっていた。
表情が削げ落ち、一心不乱に唄うモモが、心から苦しんでいることに。
“唄わせないで、あの子に……あの歌を。”
何度も聞いた、不思議な声。
あの声の主は、きっとこうなることを予期していた。
「ああ、唄わせねェよ。モモは、俺が止める……!」
奪われてなるものか。
滅びの歌なんかに。