第42章 追憶のひと
「昨日も言ったけど、モモ、俺と一緒に島を出ようぜ。」
放たれた言葉は、モモが予想していたものだった。
やはり、昨夜のことは酒の勢いというわけではないらしい。
けれど、今の自分には昨日のような動揺はない。
昨夜は少し、どうかしていただけだ。
だから冷静に応えられる。
「行かないわ。わたし、もう海へは出ないの。」
モモの冒険は、数年前のあの日、あの瞬間に終わりを迎えたのだ。
もう自分に、新しい風が吹くことはないだろう。
「そんなの、誰が決めた。」
凪いで波ひとつ立たない心に、エースの声が強く響いた。
「お前が勝手に決めただけだろ。モモ、自分の限界をここだって決めつけるのは止めろよ。」
向けられた強い眼差し。
その瞳は、少し怒っているようにも見えた。
だからモモは、自分まで熱くならないよう、極めて冷静を保った。
「そうよ、わたしが決めたの。」
すべて自分が、自分だけが決めた。
誰にも相談せず、相手の気持ちなどお構いなしに、ただ自分勝手に。
「でも勘違いで、エース。わたし今、幸せなの。」
わかって欲しかった。
自分は限界などではなく“これが幸せ”なんだと。
「だったらお前、どうして…--」
バタン!
エースが眉を寄せて、心底納得がいかないといった表情で口を開いた時、2階の寝室のドアが勢いよく開き、ドタドタと慌ただしい足音が響いた。
「…エース! よかった、まだいた!」
眠りから目を覚ましたコハクが、エースがもう行ってしまったかと思って慌てて駆け降りてきたのだ。
「もう行っちゃったかと思った。」
「バーカ、お前が寝てる間に行くかよ。」
唇を尖らせるコハクの額を軽く小突くと、コハクは「なにすんだよ」と怒った声を上げながらも嬉しそうに笑った。
「いつまでいられるんだ?」
「そうだな…。昼には出ねぇと。」
「そっか…。」
あともう数時間しか猶予がないと知り、ガックリと肩を落とす。
「そんな顔をしないのよ。まだ時間はあるんだから、早くゴハンを食べちゃいなさい。」
コハクの前に朝食を出すと、彼は気を取り直すようにがっついた。
それを微笑ましく思いながら、エースにちらりと視線を投げる。
「この話はもう終わりよ」と言外に告げた。