第5章 【手塚ドロップ】
そして沈黙が訪れる。
話したいことも聞きたいことも沢山あるのに、何も聞けずにただベンチに座って俯いていた。
「ね、手塚くん・・・最近、テニス、楽しい・・・?」
「・・・なぜだ?」
「さっき、打っている手塚くん、すごく苦しそうに見えたから・・・」
思い切って彼にさっきの疑問をぶつけてみる。
彼は、お前も最近苦しそうに見えるな、と私の質問には答えずに、私が座るベンチの隣の壁にもたれかかった。
そしてまた沈黙が訪れる。
本当はもう用事は終わったのだから、私も彼も、こうして一緒にいてはいけないのに、彼のそばから離れがたくて席から立てずにいる。
思い出すのは彼女のあの笑顔と、先日みせた手塚くんの震える拳。
忘れると決めたのに、忘れなければならないのに、それが彼のためなのに・・・頭ではわかっていても心が言うことを聞いてくれない。
うん、手塚くん、私、苦しいよ・・・辛いよ・・・本当は手塚くんのこと大好きだって大声で叫びたいよ・・・
叶わない想いを心の奥にしまい込み、練習の邪魔してごめんね?と私はベンチから立ち上がり、俯いたまま彼の前を横切った。
その瞬間、彼に腕を掴まれ、思わず彼の方を見上げると、彼の切れ長の目が凄く切なそうで、私は我慢できず
そのまま彼の胸に飛び込んだ―――
彼の右手が私の背中にしっかり回され、力強く抱きしめる。
左手はそれとは対象的に私の髪をやさしく撫でる。
ごめんなさい、ごめんなさい、そう彼の胸で私は何度も呟く。
次から次と涙があふれてくる。
「謝らなくていい、謝るべきは俺の方だ」
そういう彼の胸で私は何度も首を横に振る。
人に見られたら困るね、そう言うと、安心しろ、今は誰もこない、と彼が答えた。
そしてどちらからともなく、
そっと唇を重ねた―――
初めてのキスは、幼い頃から憧れていた甘酸っぱい夢のようなものとは程遠い、
苦しくて切ない―――涙の味がした。