第1章 そばにいるから【草津】
「錦史郎!」
帰宅するとすぐに荷物を放り出して草津邸に向かった。
名を呼びながら彼の部屋の扉を勢いよく開けると、そこに流れていた張り詰めた空気に思わず息を飲み、足を止める。
ソファに座り、優雅に紅茶を飲むその姿はいつもの錦史郎なのに、瞳だけは鋭く私を睨みつけていた。
「来たか、」
「錦史郎…?」
明らかに様子がおかしい。
ゆっくりと紅茶の入ったカップを置き、一歩ずつ近付いてくる彼が恐ろしかった。
歩いてくるのに合わせて後退するけれど、すぐに壁に背が当たりそれも叶わなくなる。
私の数歩前で足を止めた錦史郎は怒ったような、悲しんでるような、様々な感情がごちゃ混ぜになった苦痛の表情で私に手をあげる。
瞬間頬に感じた鋭い痛み。
彼に叩かれたのだと認識するのにさほど時間はいらず、彼を見つめると彼は勢いそのままに口を開いた。
「君も…君も僕から離れるのか!」
「錦史郎、何のこと…?」
「とぼけても無駄だ。君は今日、鬼怒川と共にいただろう」
「っ、!!」
気がつくと錦史郎は先ほどまで空いていた距離を詰め、私の背後の壁に手をついて逃げ場をなくしていた。
「違うの、錦史郎、聞いて…!」
「何の用だったかは知らないが、鬼怒川と会っていたのは事実だ。言い訳など聞きたくない」
私の言葉に耳を貸す気がないのか、聞こえていないのか、こちらに話す暇を与えずに彼は言葉を続ける。
「思えば昔からそうだったな、君は。いつも僕より鬼怒川と一緒にいた。僕といたって話はいつも奴のこと!それを僕がどんな思いで聞いていたか君は知らないだろう」
まくしたてられる言葉は普段の彼らしくない程に荒れていた。
その瞳に浮かんでいるのは怒りというより寂しさのような気がして。
「錦史郎」
「どうせ君も僕から離れていくんだろう、鬼怒川のところに…」
「錦史郎!」
聞いていられなくて目の前の彼を抱きしめた。
こんなにも錦史郎が孤独を感じさせてしまったのがほかでもない私のせいだったことが辛かった。
少しでも思いが伝わるように強くしがみつく。
された本人は最初驚きで身をよじらせたけれど、すぐに動かなくなった。