第64章 魔性の女
午後の練習が終わって涼太に連絡すると、熱は下がったようで安心した。
会いに行こうと思ったけど、どうやら夕方あたりから寮内への業者等、ひとの出入りが激しいらしく、とても忍びこめそうにはないとの事だった。
『ゆっくりシようと思ったのに、残念っスね』
「ぶっ、ぶり返さないように寝て!」
『ハーイ』
くすくすと笑われながら、電話を切った。
涼太の声を聞いて少し元気が出たけど、今日の突然のスズさんの話に、布団に入っても嫌なモヤモヤを抱えたままになっていた。
涼太の事を好きなひとは今までにも沢山いたけれど、あんな風に真っ向から離れろと言われたのは初めてかもしれない。
"魔性"
誰かに言われた事がある気がする。
とてもショックだった気がするのに、誰にいつ言われたのかが思い出せない。
ぼんやりと、胸の辺りに違和感を感じていた。
……嫌な事を、わざわざ頑張って思い出す事もないよね。
スズさんには、マネージャーとしての姿と、涼太の彼女としての姿。
どちらも認めてもらわないといけないのかな……。
あ、またここ。
暗く冷たい、井戸の中。
足元の水面にまた男のひとが映る。
……ああ、この間は全く分からなかったけど、思い出した。
……このひとは、お母さんの前の恋人だ。
彼の隣に、女の子がひとり。
女の子が酷い事をされている……あの子は、誰だっけ。
やめて、やめてあげて。
髪を引っ張られ、殴られ、服を剥がれ。
なんで、この子はこんな目に遭うの?
この子が何をしたの?
ねえ、もう許してあげて。
次から次へと非道な行為が流れる水面に、視線は奪われたままだった。
ふと見えた、その子が大切そうに手に持っている物が見えた。
少し汚れたパンダのぬいぐるみ。
そういえば、小さい頃私もあれくらいのパンダを可愛がってたなあ。
誰かが持ってたうさぎさんのぬいぐるみと一緒に、おままごとしたっけ。
ああ、そうか。
この暴力行為、知っている。
この女の子も、知っていた。
…………私だ。彼女は昔の、私。
幼い私に、新たな拳が振り下ろされていた。