第64章 魔性の女
「……」
ハッと気づくと、窓の外が見慣れた風景になっている。
「降りるっスよ、みわ」
「あ、うん」
まだ寝起きでぼんやりしている頭を振りながら席を立ち、きゃあきゃあと騒いでいる女子達の横を抜けて、バスを降りた。
「お祖母さんちに行く?」
「ううん、このまま先に病院に行く事にする。病院、そこだから」
おばあちゃんちに帰るには信号を渡らなければならないけれど、
病院ならバス停のすぐ裏だ。
「じゃあ、前まで送るっスよ」
「ねえ、本当に過保護……」
「いいじゃん、何がダメなんスか、過保護」
涼太は私をバス停での待合用椅子に座らせて、覆い被さるように顔を近づけてきた。
「顔、顔近いっ……」
まるで唇が触れそうな程の近さに顔を逸らすと、涼太の唇が首筋に触れた。
「ぁ」
「……ごめんね、昨日体調が悪い事に気付いてあげられなくて」
ぺろりと頸動脈を舐められ、寒気とは違う感覚に身体が震えた。
「ちっ、違うの、体調悪いのは本当に今日の午後からで……」
大きな掌が頬に触れ、そのまま涼太の唇が重ねられた。
「んッ」
「オレが貰うよ、その風邪」
熱い舌が強引に侵入してくる。
「ぁ、や」
「みわ……」
「あ、あぁ」
すぐに靄がかかったようになってしまうこの頭に喝を入れて、涼太を押し戻した。
「だ、だめ! 何考えてるのっ、本当に怖いんだからね、感染って!」
涼太は選手なんだから、身体が第一だ。
だから、こんな私といては絶対にダメなのに。
隔離どころか、キスって……!
「オレにうつったら、セックスして治して」
「い、意味が」
また、キス。
「りょ、ぁ」
涼太のほっぺたを思いっきり抓った。
「いって~……みわ、何すんの」
「だめだって、もう! ばか!」
逃げるように椅子を立ち、涼太と距離を取る。
地面にはまだ昨日の雨の名残があり、小さな水溜りから水しぶきがあがった。
「み、み、皆さまによろしくお伝えください!!」
そう言って後ずさると、涼太は笑っていた。
「ぷっ……了解っス。じゃあごめん、オレは練習に戻るけど」
「ありがとう。本当にありがとう。学校まで、気を付けてね!」
海常の青いジャージが遠ざかって行くのを、暫く見守っていた。