第60章 お互いの
マンションのドアを開けると、すっかり嗅ぎ慣れた匂いがした。
今となっては、おばあちゃんの家の方が違和感がある。
でも、ここに長居するわけにはいかない。
お花を持ってさっさと退散しよう。
リビングのドアを開けて、一瞬立ち竦んだ。
全く使用された形跡のないキッチン。
コップひとつすら、置いていない。
水切りカゴにも、全く食器がない。
いつもは、朝洗った食器があるのに。
……朝ご飯は食べていないのだろうか。
ソファの上に私の掛け布団がかかっている。
……ベッドで寝ていないのだろうか。
こたつテーブルの上にはコンビニの袋やインスタント食品の空き殻。
テーブルの下には脱ぎ捨ててある衣服。
下着、部屋着、シャツ、靴下。
何もかもが散乱している。
たった2日。
たったの2日なのに。
こんな部屋、見た事がない。
「……ごめん、ちょっと散らかってて」
涼太はそう言って、洗濯物をかき集めて部屋を出ていった。
「ゆ、夕飯は……どうするつもりなの?」
洗面所から戻って来た涼太につい、聞いてしまう。
お花を取りに来ただけなのに。
すぐ、帰らなきゃいけないのに。
「ん? ……テキトーに食べるっスよ」
よく見ると、うっすらと目の下にクマが出来ている。
眠れていないの……?
「……私、あるもので何か簡単に作っていくね」
冷蔵庫に野菜はあったはずだし、お肉も冷凍してある。
「みわ」
その声に、漫画かアニメのようにビクッと身体を反応させてしまった。
私また、余計な事をした?
涼太から、拒絶の言葉はもう聞きたくない。
「ごめん」
「……え?」
「勝手に勘違いして、酷いこと言った。ごめん」
振り向く事が出来ない。
「ううん」
辛うじて、その一言が出た。
悪いのは涼太じゃない。
冷蔵庫からキャベツを取り出して、ふうと一息つく。
「……ごはん、いま、つくるから。そしたら、でていくから大丈夫」
私と涼太はもう、終わったんだ。
こんな関係、いつまでも続くわけない。
今が良くたって、いつかこんな事が続いたら、私のことなんて嫌いになる。
今が、止め時。
意識しても震える手で、まな板を調理台に置く。
包丁ホルダーから包丁を取ろうとした時、あったかいおひさまみたいな、優しい香りに包まれた。