第10章 接触
「思えば、ぼくたちまだキスしたこと、なかったね?」
「いや、やだ……来ないで気持ち悪い」
近寄るヤツの臭い息が顔にかかる。
このままじゃ、無理矢理キス……!
「気持ち悪いとはひどいなあ。大丈夫、すぐに気持ち良くなるから」
触れた手の生暖かさ。
蘇る記憶。
きもち……悪い……
「うッ……!」
堪らず、私はその場で嘔吐した。
「うわッ、汚ねえなあ! なんだよ、萎えちまったじゃねえか……明日夜来るから、股広げて待っとけよ!」
下卑た言葉を吐き、去っていく。
「ゲホッ……うぅ……うあ……っ……」
片付けなきゃ。泣いてる場合じゃない。
迷惑だ……
トイレから小さなバケツと雑巾を持ってきて、洗剤で玄関外の床を拭う。
手が震えて、涙が止まらない。
「うっ……うう……ぐす……」
どうして。どうして。
やっと、自分の居場所を見つけて、これから色々な事があって……やっぱりそんなの、夢物語だったの?
あんな事をされ続けた私が、変わろうなんて、無理だったの?
「うう……っ」
「みわっち?」
遠くから聞こえるこの声。
「……きせ、くん……」
「どうしたんスか!?」
焦って涙を拭く私。
「あ、あの、吐いちゃって片付けてたとこ……咄嗟だったから間に合わなくて……もう終わるから、全然ヘイキ!」
「何かあったんスか」
「ううん、本当に何もないよ。ちょっと苦しかっただけで……」
「オレやるっスから、横になって?」
「だめだめ汚いから! 本当に大丈夫、練習疲れたでしょう。私も今日はもう寝るから、ありがとう」
「みわっち!」
「は、はいっ」
黄瀬くんの少し怒った声。
「お願いだから、隠し事しないで欲しいんスけど」
「……っ……」
どうして、どうして黄瀬くんは私の心の中に入ってくるの。
その瞳に、抗えない。
「……後をつけられてたみたいで……少し、話をしたの……」
「何かされた?」
「ううん、顔を触られただけ……近くで話しかけられて……気持ち悪くなって」
「……はぁ……」
黄瀬くんの大きなため息。
そうだよね、いい加減こんな面倒な女、嫌になっちゃうよね。
「……やっぱり一人で帰らせるべきじゃなかったっスね……ごめん……他には、何かされてない?」
「ううん、他には特に……」
咄嗟に嘘をついてしまった。