第46章 自宅
窓を開ければ気持ち良い風が入ってくる。
部屋の中には、カリカリと筆記具の音だけが響く。
私は、つとめて明るく問いかけた。
「……私たち身体の関係って、あった?」
それは、私の中で考えている、ひとつの可能性。
ピタリと音が止まる。数秒の間。
悩んでいるのが空気からも伝わってくる。
「なんで、そんな事聞くんスか? この間も似たような事、聞かれたけど」
「早く思い出せる、きっかけになるかなって……」
しん、と訪れた間。
彼が深く息を吸う気配。
「……あったっスよ」
再びカリカリと筆記具の音。
これ以上は聞くなという意思表示だろうか。
「……そっか……」
……肉体関係。
私はどうやって乗り越えたんだろう。
でも、もし黄瀬くんが私と付き合うなら、きっとそういうメリットがないと有り得ないと思っていたから、納得でもある。
心に重いものが下りてきた。
やはり、身体か。
なんでも出来る、スーパーマンのような彼だって男性だ。当たり前だろう。
肉体関係がなかったら、私なんかとこんな凄いひとが付き合うわけ、ない。
……同じ事をしたら、思い出す?
少しの間、あの痛みに耐えれば思い出せる?
でも、やっぱり忘れたかったんだろうか。
この関係を、終わらせたかったんだろうか。
……ヤツとのことは忘れられてない。
どうせ忘れるなら、嫌な事を全部忘れてしまいたかったのに。
「みわ」
「はいっ」
突然の声に、ひっくり返りそうなほど驚いた。
「……オレたち、ちょっと距離置こう」
「……え?」
「幸いにも今、忘れてるのはオレの事だけだし思い出さなくても、生活に支障はないっスよね? 無理に思い出そうとするの、やめないスか」
「ど、どうして……?」
「記憶を戻そう戻そうとするから、みわ、辛いと思うんス」
「そんなの、大丈夫だよ、私」
「……オレも、つらい」
……そう言う黄瀬くんの表情は暗かった。
忘れられた側の気持ちは、私には分からない。
「って言われても、みわはそもそも付き合ってたこと憶えてないんだから、何言ってんだって感じだと思うんスけどね」
自嘲気味にそう言い捨てて、またノートに向かう。
恋人だという彼にこんな事を言わせてしまう自分が情けない。