第83章 掌中の珠
「お待たせ!」
外に出ると、息苦しくなるような湿気が顔を包む。
まだまだ、秋というには気温も湿度も高い。
あきはスマートフォンの地図アプリをこちらに向けた。
「引越し蕎麦ってことで、そこの角曲がったとこの蕎麦屋さんにしない? で、ご飯終えてから、おつまみ買い込んでうちでお喋りしよって事になったんだけど」
「賛成! お蕎麦大好き」
そのお誘いの仕方が、女子同士の時と全く同じで、ちょっと笑ってしまった。
後ろのふたりの様子を見るからに、快諾してくれたんだろうというのは明らか。
あきの、分け隔てない態度が大好きだ。
そして、きっと皆もそうなんだろうと思う。
涼太と年越し蕎麦を食べに行ったのを思い出す。
スカスカの私の想い出領域に、大切なひとたちとの出来事が記憶されていくのが嬉しくて。
楽しい過去の想い出だけをもっていたい。
「あっ」
「ん? なに、みわ」
「ううん、なんでもない。お隣さんへのご挨拶、明日早々にしなきゃなーって思って」
お隣さんへのご挨拶はまた改めてにしよう。
今日、荷物を運び込む前にお声掛けした方がいいと思ってチャイムを鳴らしたけれど、反応がなかったから、外出中なのかもしれない。
調べてくれたお蕎麦屋さんは、確かに家のすぐ近くだった。
昔ながらの日本そば屋さんという雰囲気の店構えで、入り口の横には出前用のバイクが停まっている。
「いらっしゃい」
涼太が引き戸をガラガラと開けると、中から御年配の女性の声が届いた。
「こんにちは。4人なんスけど」
「好きな席にどうぞ」
古い木のにおいがする店内は、他にお客さんはいない。
私たちは、なんとなく窓際の奥の4人席に座ることに決めた。
「席どうする? みわ、あたしの隣に来る?」
「うん、そうしようかな」
あんまり深く考えずに、あきの前に黒子くんが、私の前に涼太が座るかたちになった。