第82章 夢幻泡影
クーラーの機械音だけが響く、静かな部屋。
耳を澄ませば窓の外から微かに聞こえて来るのは、虫の声。
いつもの自分の部屋だ。
すっかり住み慣れた自室。
なのにどうしてか、落ち着かない。
勉強をしようと座ったものの、そわそわしてしまいどうにも身が入りそうにない。
すぐに身体を綺麗にしたい気持ちはずっとあるのに、何故かまだお風呂に入る気にもなれなくて、お茶でも飲もうとリビングへと向かった。
「あ、おつー」
「お疲れ様。あき、ごめんね、今日は」
「いいって」
あきはダイニングテーブルに座ってタブレットの画面とにらめっこをしていたけれど、こちらに気がつくと小さく手を上げて、席を立った。
「なんか飲む?」
そう聞いたあきが座っていた席には、マグカップがひとつ。
わざわざ私のために立ってくれたんだろう。
「あっ、いいよ、自分でお茶でも淹れるよ」
「いいから座ってなよ」
「……うん」
何か作業をしていたみたいなのに、邪魔をしてしまった。
ポットのお湯を注ぐ音に続いて届いたのは、大好きな緑茶の香り。
「寝れた?」
「うん……ありがとう」
目の前に置かれたのは、お気に入りの耐熱グラス製のマグカップ。
アルファベットでメーカー名が入ったシンプルなものだけれど、手触りがよくて愛用している。
いつもの物がそこにあるだけで、なんとなくホッとした。
「なんか食べれそう?」
「うー……ん、食欲はまだ、かな。お腹空いたら何か食べるから大丈夫だよ」
そう、と短く言ったあき。
心配をかけてしまっているのはよく分かっている。
あきはタブレットを操作することはせず、そのまま私とのお喋りに時間を費やしてくれた。
学校のこととか、勉強のこととか……私を思ってだろう、あえて今回の事は話題に出さないでいてくれた。