第29章 事件
「とりあえずはこれくらい着替えあれば大丈夫っスかね。下着以外なら、足りない時オレも買って来れるし」
「……ありがとう……ごめんね、ちゃんとお金払うから」
衣類の他に、歯ブラシなどの日用品も揃えて貰ってしまった。
突然のことだったので、貯金を下ろさないと持ち合わせがない。
「いいっスよ、気にしないで!」
「だめ、そんなの……絶対返すから」
こんな風に、一緒に暮らす準備をする事になるなんて思いもしなかった。
黄瀬くんのマンションに入る。
オートロックを抜けると変わらぬ豪華さで、その非日常感に、少しだけ救われた。
「大丈夫? 疲れたっスよね。今、飲み物入れてくるから座ってて」
じわりと全身から不快な汗をかいている。
暑さのせいだけではないだろう。
どこにいても、歩いていても、ひとの視線が気になってしまって仕方がない。
まだ、震えが止まらない。
「はい、みわっち……みわっち?」
「あ、ありがとう」
冷たいお茶を喉に通すと、少しだけ気分が良くなった。
「みわっち、こっちおいで」
黄瀬くんが手を広げて招いている。
近付くと、優しく、柔らかく抱きしめてくれた。
髪を優しく撫でてくれる。
体全体を包み込んでくれている。
守られてる。
ついさっきまで、家の中でも視線が気になって仕方がなかったのに、不思議とこの腕の中にいると、不安が薄らいだ。
「怖い?」
「……落ち着く……」
ありがとう……。
しばらくして、部屋を案内して貰った。
「この部屋元々空き部屋っスから、とりあえずここがみわっちの部屋ってことで使って」
「……ごめんなさい……」
「なんで謝るんスか?」
「私、いつも……迷惑かけてばかりだから」
「なぁーに言ってんの。ひとり暮らし始めて良かった。むしろもっとオレを頼って欲しいくらいっスよ」
ポンポンと頭を撫でてくれる。
ささくれ立ったこころが、和らぐ。
「とりあえずお客さん用布団持ってくるっスね」
黄瀬くんが部屋から出て行く。
ガタガタとどこかの棚を開けている音がする。
そうだ、郵便物が結構あった……。
少し落ち着こう。いきなりあんな事があって混乱してるんだ。
とりあえず一息ついて、鞄に詰め込んだ郵便物たちを確認し始めた。