第82章 夢幻泡影
「寒くないスか?」
「……え? さむ?」
運転席の涼太が私にそう話しかけてくれたのに、その言葉の意味が分からないまま、ぼんやりと彼を見つめてしまう。
「空調、寒かったら言って」
「あ……ボーッとしてごめんなさい、寒くないよ、大丈夫」
車内の冷房の事だったみたいだ。
確かにこの時期は、朝から暑さで目が覚めてしまうから、部屋でもつい冷やしすぎてしまう。
でも……一瞬、何のことを言われているのか分からないくらい、肌の感覚がなかった。
寒いとか暑いとか、そんな感覚が一切なかった。
そこまで頭が回っていないんだろう、自分のキャパシティの小ささが嫌になる。
常備してくれているブランケットを膝にかけているうちに、車はゆっくりと動き出した。
あれだけ注意をしているつもりだったのに、気がつくとぼんやりしてしまっていて、そうこうしているうちに病院の救急窓口のような場所へ連れられて行った。
ガラス戸に映った自分の姿を見て、愕然とする。
……私、部屋着のままだ。
そんな事にも意識が回らないなんて、どうかしてる。
長袖のカーディガンを羽織ってきたから、院内に冷房が効いていてもそんなに寒さは感じないのだけれど……。
涼太は私の隣で病院のスタッフさんに何やら説明をしてくれており、私たちはそのまま診察室と思われる部屋へ通された。
黒縁眼鏡をかけた男性医師の前に置いてある丸椅子に座った途端、嫌な事を思い出してしまった。
警察のひとに……詳しく、聴取された時のこと。
心臓のあたりが、ざわざわする。
どうしてそんな所へ行ったのか、何故そんな服装だったのか、そんな事を繰り返し聞かれて。
何をされたのか、誰がいたのか、自分は何をしていたのか、過去を掘り返しながら記憶を辿っていく……あの……。
ううん、怠い頭で考えてはだめだ。
そんな事をしたって、胸の辺りの不快感は酷くなるだけ。
「よろしく、お願い致します」
医師は表情を変えぬまま、お願いしますと返してくれた。