第82章 夢幻泡影
迷ったから、一歩を踏み出すのが遅れた。
座っててと言われたけれど、とてもこの状態のまま黙って見ているなんてこと、出来なくて。
遥か先のワゴンからこちらへ向かってくる涼太の表情は見えないけれど、彼女達を目の前にして、その歩みが一瞬、硬直したかのように見えた。
気がついたら踏み出した足は回転数を上げていて、喉の奥から声が飛び出していた。
「黄瀬さん!」
大声を出した私を見るのは、目を丸くして振り向く女の子2人組と……驚きに目を剥いているのは涼太も同じ。
「あの、黄瀬さん、皆さんあっちで待ってますので、急いで……頂いてもいいですか!」
少し噛んだけど、一息でそう言った。
「誰?」と訝しがる女の子たち。
涼太は、暫く沈黙して……少し口もとを緩めた。
「すみません、もう時間がないから行くっス。いつも応援ありがとうございます。今日は、オフなんで……これ以上は勘弁してもらえますか」
涼太はそう言いながら少し困ったように眉を下げて、手のひらを顔の前に立て、手刀のように軽く振った。
彼女たちの瞳がハートになってしまったのが、よく分かる。あんな風に言われたら、何にも言えなくなっちゃうもの。
そのままこちらへ向かって来た涼太は、左手で私の右腕を取った。
「あっ、……き、黄瀬、さん」
「その呼び方やめてくんないスか」
「ごめん……なさい」
その硬い声に、怒らせてしまったんだという事を悟る。
さっき私が座っていたベンチには、既に初老のご夫婦と思われる男女がお喋りをしながら座っていた。
やっぱり、もう少し違う言い方にすれば良かった。
でも、なんて言うのが最適かが皆目見当もつかなくて。
涼太は私の手を引いたまま、段々人混みから離れていく。
近くにアトラクションがなくて、閑散としている川べりのベンチへと辿り着くと、無言のまま私を右端へ座らせた。