第82章 夢幻泡影
「オレ、みわの背中好きなんスよね」
「……え? 私の、背中?」
突然そんな風に話しかけられたものだから、着替えの手をうっかり止めてしまった。
顔を上げた鏡の中の涼太と、バチリと目が合う。
そして、吸い寄せられてしまったかのように、その視線を外す事が出来ない。
「背すじがピンと伸びてて……柔らかくて折れちゃいそうなのに、でもすっげー強くて」
「ほわ、あっ」
今度はそっと触れられた感触に驚いて、変な声を出してしまった。
肩甲骨から降りていく指に、心臓のうしろの方が疼く。
「……」
「涼太……?」
それきり黙ってしまった涼太が触れているのは……昔刺された、ところ。
彼はずっと傷跡がついてしまったと自分を責めているけれど、実際のところ、傷跡なんて殆どない。
ほんの数センチ、少しだけ盛り上がった白い線が残っているだけなのに。
「……もう、大丈夫、だよ」
痛いのは、涼太のこころだ。
自分の事を責めるなんてこと、絶対してほしくないのに。
「……ごめん」
鏡の中の彼は俯いてしまって、その瞳の色を窺い知ることができない。
どうしたらいいのか正解が分からぬまま、指が離れたのを見計らって勢いよくTシャツを被って着た。
「みわ」
「あの、これで、私も夢の国の住人、だよね」
振り向いて涼太の顔を覗き込むと、彼はゆっくりとまばたきをした。
そして……優しく微笑んだ。
「……そう、っスね」
「お待たせ、着替え終わったよ」
わざとらしいとは分かっている……でも、一秒でもそんな気持ちで居て欲しくなくて。
この空間から出ようと、脱いだ靴に足を入れようとして……その動きは彼の長い腕に縫い止められた。
「りょう……た」
「……」
ぎゅ、と力強く抱き締められて……小さい、本当に小さい声で聞こえた"ごめん"と"ありがとう"。
その言葉、何倍にもして涼太に返したい。