第82章 夢幻泡影
「……っ、!?」
ワンクッション置いてから、何が起きたのかを理解したらしい。
薄暗い車内でも、頬の色が変わったのが感じられる。
唇を離すと、金魚のように口をパクパクさせるのが可愛くて、ついイジめたくなってしまう。
「わ、あ、あ?」
「ぷっ、わああって?」
やっと出たと思った言葉は、見るからに混乱していて面白い。
「だ、って、あの、いきなり」
「そこに柔らかそうな唇があったからキスしたくなったんスよ」
緊張か、興奮かで乾き気味のふっくら唇を堪能したかったけど、なんたって今は信号待ちだ。残念ながらそんなに時間はない。
そのまま、また彼女と距離をとって、再びミネラルウォーターを口に含んでから、ハンドルを握った。
冷えすぎていない水が、身体に優しく浸み込んでいく。
「……あ、の」
「ん、どしたんスか?」
信号の色が変わって、再び窓の外の風景が流れ出す。
助手席から聞こえたのは、ちょっと聞き取りづらいくらいの、小さな声だった。
「……っ、かい」
「ん?」
言い淀んでいるのか、途切れ途切れに聞こえてしまう。
「なに? みわ」
こういう時、運転中ってもどかしい。
口元に耳を寄せて、しっかり聞いてあげたいのに。
どうしたん
「もう一回……あとで、でいいから、したい、な」
「!?」
危うく、急ブレーキを踏むとこだった。
頭が真っ白になったまま、自己最高の滑らかさで路肩に停車した。
「あっ、ごめんなさい! そんな、今すぐとかじゃなかったの、あの」
サイドブレーキを踏んだカチカチという機械音が、まるでオレの理性のタガが外れる音を再現しているかのようだ。
シートベルトを解放すると、覆いかぶさるようにして再びその唇を食んだ。