第78章 交錯
ゆっくりと車は停止して、テレビのミュートのように、車内の音が一瞬なくなる。
降りなきゃ……と思ったら、笠松先輩はナビの画面を覗き込みだした。
「一応帰り道もナビ入れとくか」
「その方が安心ですね」
「っと……何で検索すりゃいいんだ、駅か?」
先輩がメニューボタンを操作すると、画面は行き先を検索するモードに変わり、検索条件を入力出来るようになった。
近くの施設名称や検索に引っかかるような固定電話の電話番号は分からないから……
「住所がいいかもしれません。私、涼太の家の住所分かります」
「サンキュ。入れるから読み上げてくれ」
「はい」
私が住所を読み上げて、先輩が入力する。
「あ、先輩、そこ1文字戻って下さい」
「ん?」
「あの、ここが……」
そこまで話していてふと、顔が凄く近くなっている事に気がつく。
そうだ、いつも涼太と、キスする距離だ。
でも、隣にいるのは笠松先輩。
気付いた。
車って、密室だ。
涼太と居る時は特別なふたりの空間って感じで、大好き。
笠松先輩も、気心が知れているというか、今更どうこう言う関係でもないけど……。
これがあまりよく知らないひとで、例えば……今ここで、無理矢理キスされそうになったとしたら……逃げられないだろう。
男のひとの力で咄嗟に押さえつけられたら、抵抗出来ない。
そんな事、私が一番良く知ってる筈だ。
誰彼構わず不用意に同乗するのは、ちょっと考えた方がいいのかも……。
そこまでちゃんと考えた事がなかった。
誰かあまり知らないひとの隣に乗る事なんて、早々ないとは思うけど、気を付けなきゃ……。
「よし、これでいけんだろ。わりいな、じゃあな。気をつけて帰れよ」
マンションの真ん前に車を停めて貰っておいて、気をつけて帰れとはどれだけ至れり尽くせりなのか。
「ありがとうございました。先輩も、お気を付けて!」
窓からひらひらと手を振ってくれる手は、涼太よりもずっと小さい筈なのに、あまりにも大きかった。