第76章 清新
しん……
車内が、水を打ったように静まり返った。
私の声に驚いたのか、触れていた痴漢男の身体が即座に離されていく。
思い切って声を上げたけど、どうしよう!?
パニック状態なのに変わりはなかった。
「大丈夫? こっち来な!」
ぐいを手を引いてくれたのは、私より頭ひとつ分は背の低い、小柄な年上の女性。
格好からして、会社帰りだろう。
周りのひとも、その声に合わせて道を開けてくれている。
「どいつ? 手ぇ掴んだ?」
私の背後に鋭い視線を送ってくれているけれど……
複数のスーツ男性が、我関せずといった表情で、私たちと目が合わないようにしている。
背格好も大差なく、どの男に触られていたかは……私は……分からなかった。
「いえ、すみません。どのひとかは……分からない、です」
「チッ。卑怯なヤツ!」
彼女の怒声と共に、電車はホームへと到着した。
私たちを遠巻きに見ながら、人々は次から次へと下車していく。
「……くそ、とりあえず降りよ!」
彼女に手を引かれたまま、電車を降りた。
「逃げられたね……んんー悔しい!」
まるで自分の事のように悔しがってくれるお姉さん。
彼女だけだった。助けてくれたのは。
皆、目も合わせてくれなかった。
ゾッと首筋が冷たくなる感覚。
「すみません、ありがとうございました」
まだ少し、手が震えている。
「ああいうヤツは慣れててさ、黙っちゃいそうな子を狙ってやってんだよ」
……黙っちゃいそうな子……
「でも、勇気出したんだね。よく頑張った。
今度は手掴んで、とっ捕まえてやんな!」
女性は先を急ぐと言って、すぐに改札へ繋がる階段を降りて行ってしまった。
……声を上げて、正解だったのかな。
少し考え込んで、ふと我に返る。
とにかく、今の状況を涼太に連絡しなきゃ。
鞄からスマートフォンを出して、愕然とする。
どこのボタンを押しても真っ黒なままの画面。
……うそ、電池が切れた……!?
解決策はないかと辺りを見渡して、目に入ってきたのは電光掲示板の時刻表示。
もうすぐ20時を過ぎようとしている。
……ケーキ屋、もう閉まっちゃう。
涼太と居る時間も、殆どない……。