第74章 惑乱
止められない。
止めなきゃ、と思うのに身体がまったく動かないのは……
……涼太が、こんなにも感情を露わにしているから。
それなのに、見えない感情があるから。
彼の背中は、微かに震えている。
ちらりと見えた彼の顔……表情は歪み、奥歯を噛みしめる音がこちらにまで届いてきそうで。
でも、"怒り"の感情に擬態されて、本当の気持ちが隠されている。
そんな気がしてならないのは、何故だろう。
怒り
悲しみ
悔しさ
哀れみ
なんだろう、涼太は今、どんな気持ち?
私が、彼を暴走させてしまったんだ。
私の軽率な行動のせいで。
部屋には、スズさんの啜り泣く声だけが、響いている。
涼太は、土下座をして額を床に擦り付けているスズさんの肩を掴み、向き直らせる。
……と同時に、彼女の、僅かに茶色かがった艶めく髪をおもむろに掴み、投げ飛ばすように強く引っ張った。
「っきゃ……」
小柄な身体はあっという間に自由をなくし、手足をばたつかせながら、床を引き摺られる。
「涼太、何を……!」
私の声に、涼太の腕が一瞬、ほんの一瞬だけ止まった。
「同じ目を見りゃわかんだろ、コイツがどれだけ最低な事をしたのか」
「涼太、待っ」
「そうでもしないと、分かんねぇんだろ」
ダメ、それはダメ。
スズさんの鮮やかな色のカーディガンを捲り上げようとしたその筋肉質な腕を、彼の半分ほどの質量しかないのではないかと思われる細腕が、止めた。
「黄瀬さん……もう、いいでしょう」
音もなく立ち上がったおばあちゃんが、涼太を止めに入った。
おばあちゃんの目には、涙が浮かんでいる。
「っ……なんで……止めるんスか」
「……みわが被害に遭ったのはこの子のせいだと言うのなら、わたしも、殺したいくらい頭にきているわ」
静かな、静かな声だった。
「でも、それをしても誰も幸せになれない。負の感情の連鎖は、堕ちていくだけ」
涼太の目は、スズさんただひとりを捉えている。
その獰猛な瞳は、獲物を捕らえた捕食者のそれだった。