第74章 惑乱
何が、起きたのか。
一瞬、分からなかった。
……涼太が、
スズさんを、
……殴った。
頭の中はその事実と、何故という疑問と、もう色々な感情が入り混じって、訳が分からない。
顔を上げた彼女を……
もう一度、パシン。
音にしたら可愛く感じるかもしれないけれど、スズさんの頬は真っ赤になっている。
誰も、一言も発さなかった。
だめだよ。
やめて、涼太。
そう思うのに、口が動かない。
身体が、動かない。
涼太の背中から迸る怒りが、その怒りがもたらす迫力が、そうさせているのだろうか。
どうしよう。
スズさんも、何も言わない。
涼太も、何も言わない。
繰り返される平手打ち。
お願い、おばあちゃん、赤司さん、誰か、止めて。
そう思っても言葉が出ないまま。
遂に、スズさんの大きな瞳から、ぽろり、涙が零れた。
「すみません……でした……」
消え入りそうな声で、涼太を見つめながら。
涼太は……彼の背中に、燃え盛る炎が見えるかのようだ。
「言う相手が、違うだろ」
その殺気にも似た怒気を纏った涼太が、まるで生ゴミでも見るような目つきで、高いところから彼女を見下ろす。
「アンタのせいで、みわがどんな思いをしたか、分かってんのか」
「……」
ゾクッとするような、刺すような視線。
ぐす、ぐすと鼻を啜る音が聞こえる。
「神崎せんぱい……すみません、でした」
頭が床につきそうなくらい、深々と頭を下げるスズさん。
「……アンタのつまんねー保身のために、みわが、みわは」
「も、申し訳ッありませんでし、た……!」
スズさんは、土下座をし始めた。
「や、やめて!」
やっと、それだけ出てくれた。
少し、口の端を噛んだ。
やめて。
こんな事をして貰いたいんじゃないの。
スズさんの頭を上から踏み付けでもしそうな涼太の暴走を、なんとか止めなければ。
そう思うのに、やっぱり足は動かなかった。