第73章 散華
「先輩、凄いです……!」
スズさんのその明るい声に、心底ホッとする。
「マグレだよ。相手が油断していたから、たまたま成功しただけ。……もう通用しないと思う」
最後の蹴り、多分しっかり急所には入っていない。
狙い定める余裕もなかったし、力もちゃんと入れられてない。
でも男は、不意打ちとも言える私の攻撃に驚いたのか、今すぐには立ち上がれない状況のようだった。
エレベーターはまた、ゆっくりと下降を始める。
あんな荒技、多分もう二度と通用しないし、私もあんな風に思い切れないだろう。
……今になって、震えが出てきた。
何か、まだあるかもしれない。
反撃されて、あんなに大人しくやられてくれるものだろうか?
違和感が拭いきれない。
事務所から抜け出したのだって、ちょっと、すんなりいきすぎじゃない?
……まるで、わざと逃がして楽しんでいるような気すらしてくる。
ゾワゾワと、背中を虫が這いずるような不快感。
このままでいいの?
このまま行けば、本当に逃げられる?
今、私がやるべき事は何?
超高速で考えを巡らせ、閃いたかのように頭に浮かんできたピースたち。
もしかしたら、それなら逃げられるかも。
でももしそれで……
ああ、上手く整理出来ない。
焦っちゃダメだと思う感情自体が、邪魔だ。
集中、集中しなきゃいけないのに。
「スズさん、あのね……」
頭の中を整理するために、スズさんと一言二言会話をしていると、突然エレベーター内に響く、ポーンという電子音。
「!?」
なんで、どうして?
この音は……エレベーターが、到着するときの音だ。
まだ、ほんの僅かな時間しか経っていないのに。
さっきの男は、まだ階段を駆け下りれる状態じゃないはずなのに。
エレベーターは、止まるはずのない5階で停止した。
窓ガラスの向こうには、……誰もいないのに。
ゆっくりと軋むドアが開く音を、惚けた頭で聞いていた。