第73章 散華
みわ
みわ
……どこかから、私を呼ぶ声が、聞こえる。
ひどく安心する、温かくて優しい声。
誰の、声だったっけ……
みわ
誰の……
「みわ」
今度はハッキリと聞こえたその声に耳を傾けると、もうそこはかつての自分の部屋ではなかった。
目の前にあるこの、天井は……
……
……見覚えが、ある……
そうだ、涼太の、部屋……。
「みわ、大丈夫?」
聞き慣れた声に、バクバクとせわしなく動いている心臓が鎮まっていく。
涼太……。
額に当てられた手が、ひんやりと心地よい。
覗き込まれたその表情は、曇っている。
……夢、だったんだ。
そうだよね、昔の家が出てくる時点でおかしかったし……。
いつもの変わらない涼太を見て安心したのか、ひとりでに深いため息が出た。
「私……寝言言ってた?」
「いや、ウンウンうなされてた。
ごめんね、オレがベッドを離れたから」
彼の腕の中にいる時に、嫌な夢を見たことはない。
ベッドを離れた……ということは、どこかに行っていたのだろうか?
ふと自分の胸元を覗き見ると、濃いグレーの裏起毛パーカーを纏っていることに気づく。
涼太が着替えさせてくれたんだろう。
彼がいないだけで、悪夢にうなされるなんて、本当にこれから、どうなるんだろう。
あんな……
夢の中で無遠慮に私を暴く数々の手が思い出されて、ぞわぞわと背筋が寒くなり、胸元から酸っぱいものがこみ上げてくる。
だめ、吐く……。
慌てて口を手で覆い、ベッドを下りる。
力の入らない足はふらついて、涼太の大きな手に支えられた。
「みわ、吐きそう?」
慌てたり、焦っていないその声に救われる。
こくこくと頷いて、必死に全身に力を入れて走り出そうとした身体は、次の瞬間宙に浮いていた。
「っ、っ」
涼太にお姫様抱っこをされて辿り着いたトイレで、便座を上げるなり、えずく事もなく胃の中のものを吐き出す。
二度、三度と強烈な吐き気に後追いされ、ひたすらに吐いた。
息が詰まる感覚に、涙が溢れてくる。
「……っ、ぅ……」
苦しい。
もう、嫌だ。
大事なひとのおうちで、何してるの、私。