第73章 散華
みわは、家族の記憶がない。
ショックな出来事があったからなのか、それとも、オレの時のように何かの記憶と共に偶然失ってしまったのか……。
多分、前者……だろう。
今までの記憶は、そうして封じ込めてきたに違いない。
みわの記憶を戻すためには、その辛い体験を再度しなければならないのなら……
そんな記憶、もう戻らなくていい。
みわが傷付くのは見たくない。
もう、傷付けたくない。
でももし、それでも何かのきっかけで記憶が戻ったら?
また、みわは地獄のような日々を送らなければならないんだろうか。
いや、違う。
今のみわには、オレがいる。
その時にはオレが、みわを支える。
それでいい。
そう、誓ったんだ。
細い肩を抱いている腕に、力を込める。
「みわ、これからどんな事があっても、支え合っていこう」
もしかしたらこれからも、ささいな事で揺れるかもしれない。
人間だから、それも仕方のないことだろう。
でも、その時は今日の気持ちを思い出そう。
オレには大事なひとがいるってこと。
守らなきゃならないひとがいるってこと。
「涼太……私ね、時々……怖くなるの」
「ん……何が、怖くなっちゃうんスか?」
すぅ、と息を小さく吸う気配。
「私、大事なものを忘れてしまうかもしれない、って。
涼太のこと、おばあちゃんのこと、あきのこと、海常の皆のこと……大好きなひとたちのこと、忘れてしまったら、どうしよう」
「みわ」
それは、オレには理解出来ない恐怖。
自分の大切なものが、自分の中からひとりでに消えてしまう恐怖。
もし、明日にはみわの事を忘れてしまっていたら?
想像しただけで肌が粟立つほど、恐ろしい。
その肩は、震えている。
「……私、涼太のことが好き。
涼太以外を好きになるなんて、あり得ない。涼太が好き。涼太だけ、涼太だけが大好きなの」
泣きじゃくる細い身体を、今度は優しく抱き締める。
「かみさま、お願い。私から涼太をとらないで。忘れたくない。
もう、あんな思いは、いや……」
壊してしまわないように、優しく口付けた。
それは、ほんのり苦味の残るカフェオレに混じって、甘いチョコの香り。