第72章 悋気
腕の力を抜くと、離れていく柔らかい身体。
みわの次の言葉を聞くより先に、オレの足は動き出していた。
「りょう」
「悪いけど、オレ今みわと冷静に話せる気がしないんス」
それだけ言って、足早にドアへと向かう。
「涼太!」
「ごめん」
これ以上、みっともないトコを見せたくない。
部屋を出た。
後ろから呼び止められる声には、振り向かずに。
客室を出て、ひたすら歩く。
一般客に会いたくなくて、オレたちが宿泊している建物内のみの移動だったが、それでも相当の広さがあるらしく、行き止まりになるということがない。
客室もかなりの数だ。
オレたちが泊まっているのは、全体のほんの一部ということらしい。
一体、全体でどのくらいの広さがある宿なのか。
ふと、周りの空気が変わった。
この辺りの部屋は、縁に金の飾りをあしらった豪華な扉。
ここは特別な客を泊める客室なのか。
そんな余計なことばかりを考えていないと平常心でいられない気がして、必死で目に映るものに想いを馳せた。
正直、どこをどう歩いたのかはもう記憶にない。
部屋に戻る時には、案内図なりを探さなければならないだろう。
……ったく、どこまで情けないんだよ、オレは。
「黄瀬」
不意に背後から呼ばれ、自分でも分かるほどに肩を上下させて驚いてしまった。
「なんスかいきなり……赤司っち」
まあ、背後から話しかけられるのにいきなりも何もないのだが、この苛立っている状態から、ついトゲのある言い方をしてしまう。
「黄瀬、風呂にでも入って来たらどうだ」
「……は?」
いつも、赤司っちの発言にはついていけない。
「折角の温泉なんだ」
「いや、悪いけどオレ、今そんな気分じゃ」
「……きっとお前の求めているものがあるよ。行くか行かないかは、自由だが」
そうとだけ告げて、赤司っちは去っていった。
オレの、求めているもの…………?