第70章 特別
宿泊場所は、海沿いのシティホテルだった。
旅館の大部屋の方が費用的には抑えられる筈だけれど、選手たちが集中できるようにと、1人部屋が用意された。
勿論、選手側から同室の希望があった場合には、その限りではない。
実際、笠松くんと小堀くんは同室を希望していた。
ホテルには温泉もついているし、文句なしだ。
私も宿泊対象になっており、今は各部屋を回り、体調の確認とマッサージをしている。
でも、涼太だけは部屋に居なかった。
また無理な走り込みなんて……してないよね。
同じ過ちを犯すタイプではない。
分かってはいるけれど……。
心配になってホテルを出て海沿いの道を探しながら歩くと、浜辺で座っている影が1つ。
短く切った黄色い髪が、宵闇に浮かび上がっている。
さく、さくと砂浜を踏みしめる音にも気付かないようだ。
「……涼太」
「あ、みわ」
その声は、波の音にかき消されてしまいそうなほどに小さいものだった。
「ごめんね。精神統一でもしてた?」
「ん、大丈夫。もう戻ろうかと思ってたところ」
隣に座り、海を眺める。
波打際こそ視認できるけれど、海そのものは真っ黒で、ブラックホールのようだ。
「……いよいよだね」
「そうっスね……」
「緊張……してる?」
涼太はいつも、コートに入るまでは大して緊張しないタイプらしい。
だから、今日もそういう返事が来るかと予想していたら……
「少し、ね」
そう言って少し伏せた瞳を隠す睫毛が、微かに揺れていた。
「勝てる自信は?」
「……正直、分かんねっス。
やれるだけの事をやる。それだけ」
ゆっくりまばたきをすると、次に開いた瞳はいつも通りに強く、ただ真っ直ぐ前を見据えていた。
「……後悔のないように、やろう」
そう、自分に言い聞かせているかのような強い言葉。
波の音は、先ほどまでよりも優しく2人の耳に響いた。