第68章 際会
車内の乗客は気付いているのか、気付かないフリをしているのか、皆……無反応。
下を向いて寝ていたり、音楽を聴いていたりスマートフォンを弄っていたり……。
時折顔を上げた人が、私をチラリと見てから私の後ろに視線を走らせる。
やっぱり、ついてきてる。
ようやく次の駅に着くと、私はホームに飛び出し走り出した。
後ろを向いちゃダメだ。
どうしたらいい?
駅長室?
この時間ならまだまだ人の行き交いも激しい。
まだ、来てる?
追い付かれない?
このペースで大丈夫?
あまりの恐怖に耐えられなくなり、女子トイレに駆け込んで空いている個室に入った。
「はぁ……ッ……」
トイレの中には私以外にも人は沢山いる。
大丈夫、ここなら男も入って来れない。
安全だ。
こわ……かった…………
囁くような、あの下卑た声での質問。
おぞましい感触の手。鼻をつく異臭。
それらが生々しく頭で再生され、思わずこみ上げて来たものを便器の中に吐いた。
なに、あの臭い……感触……何か、物凄く嫌なものを思い出させるような感覚。
考えると頭が痛い。
何か、忘れたものを思い出せそうな……。
ああでも今は何も考えたくない……。
個室を出て口をすすぎ、パウダールームの椅子に座って暫くやり過ごした。
あの男が入ってくるんじゃないかと気が気じゃなくて、何も手に付かなかった。
ただただ両手を祈るように握り締めて、恐怖に耐えた。
……たっぷり30分ほど時間を置いた。
もう安心だろう。酔っ払いがそんなに長い時間大人しく待っているとも思えない。
トイレの入り口から顔を少し出してみる。
……
……どうして。
反射的に身を引っ込めたが、目が合った。
どうして、いるの。
見間違えるわけない。
短躯に黒のスウェット姿。
ぶるぶると震える身体を自らで抱き締めて、逃げるように再び個室に駆け込んだ。