第10章 叙情詩
シャロンは穏やかに微笑みながら首を横に振った。
「ヴィンセント、私は十分守ってもらっているのよ。貴方の声が、貴方の言葉が、貴方の存在が、いつでも私の孤独を癒してくれるの」
彼女が柔らかく笑むと、背後にある一際大きな樹木から光が漏れ出た。
光の筋が広がり、大樹の中に空洞があるのがわかる。そこには、花の結晶が玉座のようにたたえられ、傍には『シャロン』の文字が浮かんでいた。
「これが……わたしの柩……」
か弱いシャロンの声音を聞き、玉座から甘い芳香が彼女を誘う。
焦燥感がヴィンセントの胸を襲い手を伸ばすが、その手は虚しく空を切った。
「シャロン!」
霧のように消えゆく彼女の残像を追うと、彼女の体は彼女のものでない荊棘に覆い隠され、玉座へと運ばれていく。
それはあまりにも突然だった。彼がまだ納得出来ていないうちに、彼女は運命に攫われた。ヴィンセントは荊棘を掻き分け手を伸ばすが、増殖する荊棘が彼を阻む。
「シャロン、手を……!」
「荊棘が……! 来てはダメ……」
「もう離さないと誓った……」
「ヴィンセント……ありがとう。私を守ってくれて……」
荊棘がヴィンセントの腕を傷つけるが、彼は腕を伸ばし続けた。
しかしとうとう彼女の体を掴むことはできなかった。得もいわれぬ喪失感が彼に襲いかかるが、せめて約して欲しかった。彼は願う。
「シャロン……聞かせてくれ。必ず帰ってくると……」
「……帰るわ、必ず、あなたの元へ」
彼女の手足が結晶化し始める。これから何が起こるのか、無事帰れる保証などどこにもない。しかし彼女が最後に残したのは、不安など微塵も感じさせぬ微笑だった。荊棘が内側からヴィンセントの腕を押し出し、彼女は玉座に飲み込まれる。
同時に辺りが暗くなり、ヴィンセントは呆然とその場に立ち尽くした。
”ありがとう”
完全に封じられる前に彼女が小さく呟いた言葉だけが頭の中に谺し続けた。
感謝の言葉など、残してほしくはなかったのに。これでは、罪にすることができない。彼は煌煌と照らす月明かりの下、誰にも届かない声で小さく漏らす。彼女に伝えるべきだった言葉を。
「シャロン……側にいてくれ……。癒されていたのは私の方だ……。君が側にいてくれさえすれば……私はそれだけでよかったのだ……」