第7章 恋の策謀事件(下)
こうして病院から慎重に運び込まれた2人の小さな遺体はそれぞれの故郷の家に帰って来たのだ。そして集まった先生や生徒達を悲しみの渦に巻き込んだ。2人の家が近くということもあり2人の両親、遺族が駆け付けて下さった。そして学校の先生方は勿論、ケンタウロス、ディオ、ウンディーネ、ガイアそしてユニやキューピッドも葬儀に参加して彼らを天へ見送った。それからヘルメスとヘファイストスが遅れて登場した。
古代ギリシャ人は、死者を冥界に送るための葬儀を非常に重要視した民族だ。なので葬儀は非常に重要な儀式の1つである。そして葬儀費用はすべて親族の負担だ。
まずウンディーネとガイアから2人の遺体の口に小麦粉で作った菓子が供えられた。これは地獄の番犬をなだめるためのものであるといわれている。
次に2人の父親が我が子に敬意を払った後に2人の目と口をそれぞれ閉じて顔を布で覆った。
その後は死者が冷たくなる前に遺体は洗われ、布に包まれた。大人の死者の場合は別の場所に埋葬されるが2人が子供であったためそれぞれの家の壁に埋葬されることになった。そしてそれぞれの母親が我が子の髪の毛を削ぎとり、家の戸口にそぎ取った髪の毛を掛けた。古代ギリシャでは死者の髪の毛を剃り、戸口に掛けておく習慣がある。これは喪の家である目印であり、死者が外に出るまでは、入り口に水の入った壷を置いて、死者からの汚れを守るのだ。
それからケンタウロスとディオが先生とともに水の入った壺を戸口の横に置いた。
次は死者を外に出す儀礼があるが、古代の埋葬では死後3~4日後に行ない、貧しい者は死の翌日に埋葬するのが一般的だ。偉大な人間の場合、8日後に火葬を行い、9日目に埋葬したという記録があるそうだ。アフロディティーとマールスも死後3日経っていた。ギリシャ人の間では自殺者、子供、そして奴隷階級の人間は土葬で、火葬は許されなかった。火葬は市民階級の者だけが許された。生まれて40日未満の幼児は家の壁のくぼみに埋められ、火葬が許されるのは歯が生えて来てからだ。こうした習慣の背景には彼らの死後の霊魂のあり方にとても関連を持っていたのだ。