第14章 髪を切る理由【岩泉一】
「岩ちゃん!」
「…おう」
帰り道、及川と別れ、なんとなく家の前でぼーっとしていると、聞き慣れた声が俺を呼んだ。
肩より短い髪を揺らしながらこちらへ小走りで駆け寄ってくる。
「髪、切ったんだな」
「うん、ばっさり切った」
髪の毛の一房をつまんでみせる美咲。
「髪だけで雰囲気がこんな変わるもんだな」
「そう?確かにみんなから、女の子っぽくなったとは言われたけど」
「ああ、そうかもな」
首を傾げて髪がさらりと揺れるたび、ほのかに石鹸の香りがして、少しクラッとする。
(こんなに俺って匂いに弱かったか?)
あくまで普通を装う俺が内心焦ってることに、こいつは気付かないんだろう。一生。
「まぁ、こんなに切ったのは初めてだし。自分でもなんか変な感じかも」
「ずっと伸ばしてたもんな」
身内贔屓を引いても、こいつは美人の類の人間だった。
髪を切ったこいつへの男の目線が少し変わったのも、多分当人は気付かない。
危なっかしいのは、昔から変わらない。
「…ね、岩ちゃん」
「ん?」
「似合う、かな」
笑いながら、でもどこか照れ臭そうに尋ねる。
俺の胸の内の"ナニか"に気付かずに。
でも、お前は気付かないほうがいいのかもしれない。
ーーそうだ。知らないお前のまま、笑っていてくれればいい。俺の名前を呼んでくれればいい。
今の関係が、一番居心地がいいのだから。
この心地良さをわざわざ壊す必要なんてない。