第8章 こんな夜じゃなきゃ
「そのバカさ加減は、確実に黒尾さんですね。こんばんわ黒尾さん」
『こんな悲しい気持ち、本当に久しぶりだなぁ…』
何やら悲しみが訪れているようだが、そこは気にしないでおこう。
「それはさておき、お久しぶりですね黒尾さん」
『お久しぶりだな瀬戸さん』
「ますますご健勝のことと」
『お慶び申し上げます』
会話のテンポの良さとノリの良さもご健在のようだ。
『元気してたー?』
「げ、げんき元気ぃー」
空いている腕を曲げ、“筋肉ムキッとポーズ”を決める。流れで何となくやってみたが、すぐに冷静になり恥ずかしさが訪れる。
『今お前ムキムキポーズやってそう』
「……ヤッテナイデス」
『やったんだな』
見抜かれてる。凄い恥ずかしい。
「ゴホンっ。それで、何の御用ですか黒尾さん?」
わざとらしく咳払いをし、本題に入るよう促した。すると、さっきまでのテンポの良い喋りは何処へやら。途端に電話口から歯切れの悪い声が聞こえて来る。
『あー…ん〜とな、あー…』
「どうしたんですか?言ってみて下さいよ」
話しの先を促すと、何度か悩み唸った末に腹が決まったようだ。
『いやーあのさ、明日っからIH予選だろ?それのこと考えると落ち着かなくてよ〜』
「! 私もです…」
『やっぱお前も?だよな〜。明日かと思うと中々なぁ』
そう彼は苦笑気味に耳元で零した。
率直に物を言えば意外だ。合宿での練習試合での黒尾さんの姿は、今でも鮮明に覚えている。
───悪戯っぽく目を細め、余裕綽々と口元を緩ませる。しなやかに飄々とボールを拾い、鋭い眼光を走らせる。
そんな黒猫のような彼から、“緊張”という言葉は連想し難くあった。